キングダム

【2019年/日本/134min.】
七つの国がせめぎ合う動乱の世。中華西方の国・秦。
戦災孤児で奴隷となった少年・信は、同じ境遇の漂と共に育ち、深い絆で結ばれていく。
二人の夢は、かつて目にした王騎のような立派な大将軍になること。
そのために、密かに剣の腕を磨く日々。

ある日、好機が、漂にだけ訪れる。
漂を見掛けた高官・昌文君が、身請けを申し出てきたのだ。
「行き着く場所は同じ」と、去って行く漂を快く送りだす信。

ところが、しばらくたったある晚、漂が傷付き血だらけになった姿で戻ってくる。
そして、信に謎の地図を託し、「お前が羽ばたけば俺もそこにいる」と言い残し、息絶える。
さらに、漂を追って来た者たちにより、家は焼かれ、近隣の村人たちも殺されてしまう。

悲しみの中、なんとか逃げ切った信は、託された地図を頼りに、とある寒村に辿り着くと、そこになぜか死んだはずの漂が…!
実はこの青年、異母弟・成蟜の謀反で追われる身となった秦の王・嬴政であった。
漂は、嬴政と瓜二つだったことから、替え玉として身請けされ、そして代わりに殺されたのだ。
事実を知り、怒りを抑えきれない信であるが、成蟜が放った刺客に追われ、嬴政と共に逃げざるを得なくなり…。


原泰久による大人気同名コミックを映画化。

今から約3年前、<キングダム>連載10周年記念の特別映像という名目で、大野大樹(おおの・ひろき)監督による、コミックを実写化した短編が発表された。
それが、まるで映画のティザー予告のようだったので、その時点ですでに、長編映画化の企画が進んでいるのだと、察した。

そうしたら、案の定である。
この実写映画は、2018年4月のコミック<キングダム>50巻達成記念という名目のもとでの映画化。
監督は、特別映像の大野大樹ではなく、佐藤信介(さとう・しんすけ)に。
この手の映画化では、原作ファンからの批判が付き物だけれど、本作品の場合、原作者の原泰久が脚本に加わっているので、原作ファンも安堵だろうか。

私自身は、原作コミック未読。
そんなに面白くて、おまけに歴史のお勉強にもなるのなら、試しに読んでみようと思ったのだが、50巻以上出ていて、しかもまだ完結していないと知り、怯み、それっきり…。
それでも、この映画を観てみたかったのは、ひとえに秦(紀元前905-紀元前221)の時代を描く作品だから。
別に、秦には全然詳しくない。
時代背景が秦の作品で、私が過去に観ているのは、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の映画『始皇帝暗殺』(1998年)や、最近だと、ドラマ『ミーユエ 王朝を照らす月~羋月傳』等。
日本人の手による、この映画は、どうでしょう…?





本作品は、戦国の世、戦災孤児で下僕となったものの、いつか天下の大将軍になることを夢見る少年・信が、非業の死を遂げた幼馴染み・漂と瓜二つの秦王・嬴政と出逢い、共通の敵である嬴政の弟・成蟜を討つため、果敢にも危険に身を投じる様子を描くアクション史劇

長ーい原作コミックの内、一体、どこからどこまでを映画化したのだろうか。
映画は、少年・信が、その後秦の始皇帝となる嬴政と出逢い、中国を統一していく道を共に歩み始める、波乱の物語のほんのプロローグのように感じた。
これ、もしかして、シリーズ化が念頭にあるのでは…?

映画は、かなりフィクションで膨らませているが、物語の根底には、一応史実あり。
ただでさえ7つもの国が牽制し合う戦国の世、国内でも権力闘争が繰り広げられる秦で、嬴政が若くして王位に就くも、異母弟・嬴成蟜が謀反を起こし、その座を脅かすが、結局嬴成蟜は敗れ、嬴政が秦王として君臨、…というのが、背景にある史実。

映画の中で、嬴成蟜は、生母の身分が低い嬴政など王に値しない、血筋の良い母をもつ自分こそが王に相応しいと、異母兄・嬴政を見下し、自分が王位に就く正当性を主張する傲慢な悪役。

実際のところ、秦のこの異母兄弟喧嘩には、祖母の代から続く後宮の権力闘争があったようだ。
嬴成蟜の出生に関しては、“所説あり”と前置きしておく。)
兄弟の父である子楚、後の襄王(紀元前281-紀元前247)は、その父・孝文王の側室で、韓から嫁いできた夏姬が生んだ子であり、孝文王から軽んじられ、捨て駒の如く母子共々趙へ人質に出され、惨めな子供時代を送る。
そんな子楚に目を付けた呂不韋(紀元前292-紀元前235)が、孝文王の正室として、楚から嫁いできたものの、子が無く、不安定な立場の羋氏・華陽夫人に接触し、人質に出されている子楚を養子にするよう助言。
こうして、身分の高い華陽夫人の養子となった子楚は、趙に趙姬と趙姬が生んだ子・嬴政を残したまま、秦に戻り、太子となり、さらに父王の死に伴い、襄王に即位。

ここで勃発するのが、襄王の養母VS生母対決!
その頃すでに襄王には、趙姬と嬴政がいたわけだけれど、襄王の生母・夏姬は、息子の嫁に、自分の故郷・韓から、一人の韓夫人を選んで嫁がせ、その韓夫人が紀元前256年に産んだ息子こそが、嬴成蟜。

襄王が崩御すると、13歳の嬴政が王位に就くが、23歳で親政を行うまでの十年は、華陽夫人につく昌文君(紀元前276-紀元前226)ら楚の勢力→呂不韋の新勢力→趙姬とその情夫・嫪毐(?-紀元前238)による趙の勢力と、国内で権力闘争が繰り広げられる。

映画で、嬴政が唯一信頼をおいている秦の武将は昌文君。
つまり、父親の養母・華陽夫人の楚の勢力が、若き嬴政を守りつつ、自分たちの地固めをし、父親の生母・夏姬側の韓の血を引く嬴成蟜を牽制しているという構図。

ドラマ『ミーユエ』で描かれている、宣太后羋氏(?-紀元前265)の時代の後宮の争いが重なる。
秦という一国の話でありながら、故郷の安定や繁栄というミッションを背負った後宮の女たちのせめぎ合い。宣太后羋氏が経験した血で血を洗う内紛は、その玄孫・嬴政の時代になっても、変わらず脈々と繰り広げられていたのですねー。壮絶ですわ、秦。

もっとも、映画『キングダム』では、そのような複雑な背景は割愛され、母親の身分が違う嬴政と嬴成蟜の“度の過ぎた異母兄弟喧嘩”として、単純な勧善懲悪のアクション作品に仕上げているので、良く言えば分かり易く、悪く言えばアッサリし過ぎで、嬴政が王位を死守する歴史をダイジェスト版で一気に見せられたかのよう。





撮影は、以前から多くのメディアが報じているように、王宮のシーン等、一部、浙江省の象山影視城公式サイト)で行われている。

キングダム

中国の映画やドラマをよく観る人なら、何かしらの作品で目にし、すでに知った風景が絶対に出てくるので、軽い興奮をおぼえるだろうし、これまで中国の作品に馴染みの無かったい人なら、「えっ、これがセット…?!」と、日本とのスケールの差に息を吞むであろう。

中国では、エキストラや馬も大量にスタンバイ。
馬は百頭ほど用意され、大平原をドドーッと走行させるらしい。
これが日本だと、準備されるのは、せいぜい10頭程度で、あとはCGで水増しするのだと。
そこまで差があると、臨場感も違ってくる。





キャストもチェック。

キングダム

主人公・信を演じるのは、山﨑賢人
この信は、始皇帝から信頼されていたと言い伝えられる、秦に実在した将軍・李信がモデルなのだとか。
私、てっきり架空の人物なのだと思い込んでおりました。
映画では、戦災孤児で奴隷にされているけれど、実際の李信は、お家柄は良かったみたい。

人気コミックの主人公を演じるなんて、山﨑賢人のプレッシャーは大きかったであろう。
この役を演じるにあたり、彼は約10キロもの減量をしたという。元々太っていなかったのに、10キロも落とすのは、きっと大変だったに違いない。
でも、なんで、そんなに減量…?少年ぽさを出すため…?

で、原作ファンは、山﨑賢人の信をどう評価しているのでしょうか。
私は、原作を知らないので、誰が配役されても構わないし、山﨑賢人クンは、この映画の主人公に合っていると思った。アクションも頑張っていて、キレがある。


続いて、(↓)こちら。

キングダム

吉沢亮は、信の幼馴染み・漂と嬴政(紀元前259-紀元前210)の一人二役。
映画鑑賞前にたまたま読んだインタヴュ記事で、吉沢亮が『キングダム』を熱く語っていたので、限りなく主役に近い準主役との認識で映画を観たら、彼が演じる漂が、序盤で早々に息絶えたので、肩透かし…。
そうしたら、漂と瓜二つの嬴政役で、再登板。漂は、嬴政にソックリだったため、影武者要員にスカウトされ、結局敵に殺されてしまったという設定。
そりゃあ、そうよねぇー。
原作ファンなら当然知っている展開だろうが、なにせ私は未読なので、吉沢亮早々の撤退に、ちょっと驚いてしまいましたヨ。

ちなみに、3年前の特別映像では…

キングダム
この嬴政、ホンモノの中国人、魏哲鳴(マイルス・ウェイ)が演じていた。
吉沢亮の顔+魏哲鳴の身長だったら→嬴政、最強。


そんな嬴政と信が立ち向かう敵は…

キングダム
嬴政の異母弟・嬴成蟜(紀元前256?-紀元前239)。扮するは本郷奏多
非常に分かり易い悪役を演じている。


秦の重鎮を演じる中堅も二人。

キングダム

漂をスカウトする嬴政の側近・昌文君(紀元前276-紀元前226)に高嶋政宏
幼い信が憧れる大将軍・王騎に大沢たかお

昌文君は、前述のように、華陽夫人の楚の勢力。
嬴政が唯一信頼する秦の高官として描かれる。

一方、王騎に関しては、秦にそのような名の将軍は存在しなかったものの、王齮(?-紀元前244)がモデルと言われているのだとか。
王齮は、あまり目立った活躍をしなかったのか、情報が少ないし、本場中国の史劇でも取り上げられた様子が無い。
今回、大沢たかおは、役作りのために、山﨑賢人とは逆に、15キロもの増量!
大将軍の名に相応しい、立派な体格になっておられる。
それだけに、初めて王騎が口を開いたシーンでは、キョトン。
いかつい容姿からは想像すらしなかった、若干オネェっぽい独特な喋り方に、唖然ボー然。
とても漫画的なキャラに感じたので、きっと原作でこういう感じなのでしょうねぇ。キョーレツ(笑)。
私の見間違いでなければ、もしかして、腋も綺麗に処理していた…?


女性も二人。

キングダム

山中で、追われる嬴政と信を導き、やがて仲間になる河了貂に橋本環奈
山の民を統率し、嬴政に加勢する楊端和に長澤まさみ

モコモコの戦闘服に身を包む河了貂は、“貂”というくらいだから、イタチ科の動物を意識?
着ぐるみの画像だけだと“中の人”が可哀そうなので…

キングダム
はい、顔出し画像も。

楊端和は、猛獣系マスク装着+ヴォイスチェンジャーで登場。
マスクを外したら、中に長澤まさみが入っていた。
これもまた不思議キャラだが、モデルは<史記>に記載のある秦の将軍・楊端和なのだとか。
実際の楊端和は、女性ではなく、男性だったのでしょうけれど。


脇の小さな役だが、気になった人物を二人。

キングダム

孤児の漂と信を引き取り働かせている里典に六平直政
嬴成蟜の側近・肆氏に石橋蓮司

この二人がなぜ気になったかって、中国史劇に出てくるキャラそのものに見えたから。
黙っていれば、中国人に見える。
本場の中国史劇にそっと投入しておいても、日本人俳優だと気付かれない、多分。
大きな涙袋や、クセ者の雰囲気は、大陸の実力派俳優・倪大紅(ニー・ダーホン)を彷彿。

あと、見た目で、中国の俳優に遜色ないと感じるのは、大沢たかお、高嶋政宏、長澤まさみかしら。
この御三方は、大陸体形。長身で骨格がしっかりしていると、スクリーンの中でも映える。


評価しにくいのは、荒くれ者の武官・左慈役の坂口拓
アクション俳優の坂口拓は、強さがリアル。
…なのだけれど、殺陣の型とか、ちょっとした動作から、中国ではなく、日本のチンピラ臭がビミョーに漂う。
上手く説明できない。日中のこの差は、一体ナンなのでしょう…?
それを、“中国史劇の中に、日本のエッセンスが感じられ、新鮮”と捉えるか、“リアリティに欠ける”と捉えるかは、見る人それぞれの感覚かも。





日本人監督が、オール日本人俳優で、日本語による中国史劇を撮る事には、正直言って、賛成しかねる。
なぜなら、逆は有り得ないから。
自分たちの歴史がネタの宝庫だと知っている中国人は、オール中国人俳優で、中国語による、日本の時代劇など、決して撮ろうとしない。
さらに言うなら、昨今、中国で制作されている中国史劇は、テレビドラマでさえ、映像、キャスト、脚本、どこを取っても、日本の“超大作”がとてもとても太刀打ちできない高いレベルである。

そんな事もあり、映画『キングダム』は恐る恐る観たのだが、結果から言うと、及第点を超える出来であった。
冒頭、中国映画を鑑賞している気分になり、最初に日本語の台詞を耳にした時は、「あら、やだ。私、もしかして、日本語吹き替え版の上映に入っちゃったの?!」と一瞬勘違いした程である。
一番最初のアクションシーンも、本場に引けを取らない迫力のある物であった。
個性的な登場キャラが多く、キャストも良し。
…ただ、先に述べたように、“ダイジェスト版『キングダム』”という印象で、あっさり薄味で、ガツーン!と訴えてかけて来る何かに欠ける。

恐らく、原作ファンだと、平面的に見ていた世界が、実写で再現され、目の前で動いているているだけでも、感激できるのでは。
好き嫌いは別にしても、「このシーンはこんな風に再現されたのか!」とか、「このキャラ、原作通り!」とか、必ず食い付き所があるはずである。

中国史劇、取り分け、長尺のドラマを観慣れている人は、私と同様、“あっさり薄味”と感じるかも。
この映画『キングダム』は、明らかに中国市場を意識して制作されているが、私以上に中国史劇に親しんでいる人民の皆さまが、どう受け止めるかは、うーん…。(本音は伏せておく。)
元々、日本のアイドルやポップカルチャー好きな層は、手放しで絶賛してくれるだろうけれど、広く一般にウケ、大ヒットに結び付くとは考えにくい。
中国市場で勝負するなら、中国ネタより、日本独自のネタで勝負する方が手堅い。(…と言うか、そうして下さい。)


私、どうせなら、この『キングダム』、中国語吹き替え+日本語字幕で観てみたい。
その方が、もっと中国気分に浸れそうだし、中国語のお勉強にもなる。
また、中国の人名や地名、官位などは、字幕で漢字表記を視覚的に捉えた方が、理解し易い。

ついでに言っておくと、日本語の台詞では、気になってしまう言葉遣いがいくつか有った。
一番引っ掛かったのは、嬴政が自分のことを“俺(オレ)”という点。
多分、原作で使われている表現を、そのまま映画でも使っていると察するので、原作ファンは気にならないと思う。
でも、中国史劇を観慣れていると、王侯貴族レベルの男性に“オレ”は、庶民的すぎて、違和感ありあり。
その男性が例えまだ子供であっても、“オレ”はNGでしょ。
中国語だと、これほど高位につく男性の一人称は、何でしたっけ?
“寡人 Guărén”とか“本王 Běnwáng”とか…?