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映画『ザ・スクエア~思いやりの聖域』

ザ・スクエア

【2017年/スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク/151min.】
クリスティアン・J・ニールセンは、X-ロイヤル美術館を束ねるチーフ・キュレーター。
間近に控えているのは、アルゼンチンのアーティスト、ローラ・ライアスの作品<ザ・スクエア>を発表する展覧会。
地面に正方形を描いただけの<ザ・スクエア>は、「信頼と思いやりの聖域。その中では、誰もが平等に権利と義務を共有する」をコンセプトに、現代社会に潜む問題を提起するシンプルなインスタレーション作品。
この展覧会の準備に追われているある日、クリスティアンは、街中で、何者かに追われている女性を助けたつもりが、詐欺に遭い、財布と携帯電話、さらには形見のカフスボタンまでを盗まれてしまう。
幸い、携帯電話のGPS機能を使い、犯人が暮らす集合住宅を突き止める。
…が、何戸もある大きな建物の中から、どうすれば犯人の家を特定できるだろうか?
部下のミカエルが、妙案を思い付く。
建物全戸のポストに脅迫状を投函すれば良いと言うのだ。
この案に、当初は戸惑ったクリスティアンであったが、盗んだ物を駅近くのセブンイレブンに届けるよう指示する脅迫状を大量に用意し、夜を待ち、集合住宅へ出向き、一軒一軒にこっそり投函。
すると、早速、セブンイレブンに小包が届き、クリスティアンは無事盗品を取り戻すことに成功。
これで一件落着とホッとしたのも束の間、再びセブンイレブンから届け物の連絡が入る。
すでに盗品は戻ってきているのにナゼ…?!
新たな小包の中身は、投函された脅迫状のせいで、無実の罪を着せられた少年からの怒りのメッセージであった…。


今はちょうどカンヌ国際映画祭の季節。
スウェーデンのリューベン・オストルンド監督によるこの作品も、カンヌに所縁があり、昨2017年、第70回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞。

リューベン・オストルンド監督作品は、前作の『フレンチアルプスで起きたこと』(2014年)も未見。
そもそも、私は、スウェーデン映画が超久し振り。
イングマール・ベルイマンで私のスウェーデン映画体験は止まってしまっているのではないかと思うくらい最近遠ざかっているけれど、これは昨年カンヌで受賞した時から、気になっていた。





本作品は、現代美術館の名の知れたキュレーター、クリスティアンが、“信頼と思いやりの聖域”をテーマに、現代社会の蔓延る問題に一石を投じる企画を始動させるも、自分自身は、盗難事件をきっかけに、知らず知らずの内に、信頼や思いやりとは逆の方向へ動きだし、エゴを晒しながら空回りしていく様を描く人間悲喜劇


タイトルにもなっているくらいだから、物語の主軸は、“信頼と思いやりの聖域”をテーマにした<ザ・スクエア>というアート作品にまつわるエピソード。
決して派手ではないこの作品を展示するにあたり、いかにプロモートし、世に問題を提起できるのか?また、いかに大衆からの注目を集められるのか?
美術館は、広告代理店に依頼し、Youtubeを使ってのプロモーションを展開することになるのだが、それが後々大問題を引き起こす。

そもそも英語の“Square”は、単純に四角い形を表すのみならず、“公平”、“正直”、“きちんとしている事”なども意味する。

主人公のクリスティンは、有名美術館でチーフ・キュレーターを務め、地位も知性もそこそこの経済力もある男性。
だから、自分のような人間は、世間から信頼されるに足る正直で公平性をもった紳士でなければならないと分かっている、…頭では。

ところが、その頭の中での理解が試される出来事がクリスティアンに降りかかる。
一つは、女性記者・アンとの出逢い。
クリスティアンは、インタヴュを受けたことでアンと知り合い、パーティーでの偶然の再会で、そのまま彼女の部屋へなだれ込み、一夜を共にしてしまう。
このお気軽な肉体交渉が、アンにクリスティアンに対する不信感を生み、責められる羽目に。

もう一つの出来事は、物語上さらに重要。
盗まれた財布と携帯電話を取り戻すため、犯人が暮らす集合住宅全戸に脅迫状を投函したことで、事件とはまったく関係の無い少年を傷付けてしまったのだ。
その集合住宅は、経済的に恵まれない移民などが多く暮らす場所。
そんな所をウロウロすることに抵抗があったのか、単純に後ろめたい事に手を染めたくなかったのか、クリスティアンは、黒人の部下・ミカエルに投函を頼むが、ミカエルに拒否されてしまったため、ミカエルのジャケットを借りて着て、自ら建物に入り、投函。
盗品は無事手元に戻るも、その後再びコンビニに、あの集合住宅からクリスティアン宛ての怪しげな小包が届くと、自分自身は警戒し、具体的な事情を説明しないまま、またまたミカエルをコンビニへ送り込む。
クリスティアンのような“立派な紳士”が抱くべきではない、格差や人種などへの偏見や差別意識が、どんなに覆い隠そうとしても、頭をもたげてしまう。


リューベン・オストルンド監督は、政治家が声高に叫んだり、メディアがセンセーショナルに報じることで、内容の良し悪しに関わらず、人々が食い付き、盛り上がってしまう昨今の風潮を危惧し、本作品を撮ろうと思ったという。
その点で、リューベン・オストルンド監督の思いをストレートに表現しているのは、最初に戻り、美術館が<ザ・スクエア>をプロモーションするYoutubeのエピソードであろう。
敢えて、スウェーデン人らしい金髪の可愛い少女をモデルに起用し、その子がスクエアの中でドッカーンと木っ端微塵に吹き飛ばされるという過激な動画は、あれよあれよと言う間に再生回数30万回を突破し、世間で物議を醸すこととなる。
道徳的に正しいかどうかは関係なく、目立ったもの勝ちの、いわゆる“炎上商法”である。
さらに、再生回数が激増したため、クリスティンには、Youtubeの運営会社から連絡が入り、広告の掲載を打診される。
リューベン・オストルンド監督は、注目を集めることがお金に結び付くという昨今の経済のシステムも問題視。
この一連のエピソードは、日本でも同様の現象が起きているので、我々にも分かり易い。





出演者は大半が初めて見る顔。

ザ・スクエア

X-ロイヤル美術館のヘッド・キュレーター、クリスティアン・J・ニールセンにクレス・バング、クリスティアンの部下ミカエルにクリストファー・レス―、女性記者アンにエリザベス・モス、そして、美術館主催のパーティーで猿のパフォーマンスを行うオレグ・ロゴ―シンにテリー・ノタリー等々…。


主演のクレス・バングはデンマークの俳優ですって。
190を越える長身の色男で、もう少し若い頃のランベール・ウィルソンがちらりと重なった。
扮するクリスティアンも、洗練された身なりの素敵な中年男性だけに、彼が自分を正当化しようと繕えば繕うほど、そのザマがセコく見える(笑)。


その部下ミカエルを演じるクリストファー・レス―もデンマークの俳優。
(彼の姓“Læssø”は、他の皆さまに従い“レス―”と表記したが、私自身がデンマーク語の読み方を知らないので、本当にそれが正しいのか、確認のしようがない。)
同じ美術館で仕事をしている仲間でも、クリスティアンは、黒人のミカエルを、心のどこかでやはり見下しているのであろう。
黒い肌の彼は、低所得者層が暮らす場所に居ても馴染む人、いかにも事件を起こしそうな人に見えるから、集合団地での脅迫状投函を頼んだり、コンビニへ使いにやったりしたのだろう。
でも、ミカエルもミカエルよねぇー。
「投函なんて簡単。僕がやって上げるよ」と確かに自分から仕事を買って出たのに、現地に到着した途端、そんな発言は無かったことにしちゃうんだもん。
あの変わり身には、私も意表を突かれたので、クリスティアンが唖然としたのも分かる。


女性記者のアンに扮するエリザベス・モスは、日本で一番知られた本作品のキャスト。
このアンもなんか不可解な女性であった。
パーティーで再会したアンの部屋へ流れ込み、一夜の肉体関係を楽しみ、それっきりというクリスティアンは、女性を性の対象としか見ていない卑劣な男という位置づけなのだろうか。
アンは、大して知りもしない男を部屋に入れ、同意の上で関係を持ったわけで、その後、クリスティアンの仕事場へ押しかけ、「私は好きでもない男と簡単に寝るような軽い女じゃない!アナタは私と何をしたか覚えているの?!」と彼を責めても、説得力が無く、いえ、いえ、アンさん、アナタ様にも問題が…と思ってしまった私は、日本人的なのか…?


そして、パーティーでお猿のパフォーマンスを披露するオレグ…!

ザ・スクエア

ただのパフォーマンスのはずが、徐々に人々を恐怖に陥れていく様子を、結構な長さで見せる印象的なシーンである。
実際にはその場に居ない私まで、息を止め、固まってしまう程の迫真の演技と臨場感!
扮するテリー・ノタリーは、シルク・ド・ソレイユのパフォーマーとしてキャリアをスタートさせ、これまで『猿の惑星』など数多くの作品で、動物を演じてきた俳優らしい。
本作品のリューベン・オストルンド監督は、猿を真似られる俳優をグーグル検索し、このテリー・ノタリーを探し当てたのだとか。





私がこの作品の存在を初めて知った時の説明文では、<ザ・スクエア>というアート作品の四角い枠の中に立った人々の人間性が徐々に暴かれていく様子を描く作品、…という理解であった。
まさか四角い枠の中だけで、物語が展開するのか?究極のワンシチュエーション物…?!と疑問が沸々。
結局は、四角い枠の外で普通に話が進行していくのだけれど、観ないことには、まったく内容が掴めず、鑑賞中も先がなかなか読めない映画。

万人ウケする作品だとは思わない。
好き嫌いが分かれそう。私は、“好き”の側の人。
格差、差別、偏見、偽善、他人への無関心、また逆に、他人への過干渉といった現代社会に潜む問題が作中沢山散りばめられているが、だからと言って、監督が定義する善悪を観衆に押し付ける説教臭い社会派作品とも違う。
私自身、必ずしも全てに共感したわけではなく、腑に落ちない部分も有って、後味もスカッとせず、モヤモヤするし、繰り返し何度も観たいとは思わないけれど、それでも、不思議と鑑賞中は、作品世界に入り込み、2時間半という長さが、まったく気にならなかった。
北欧らしいクリーンでスタイリッシュな映像も良し。

映画『スマート・チェイス』

スマートチェイス

【2017年/中国/95min.】

中国・上海。
プライベート・セキュリティー・エージェントS.M.A.R.T安保のダニー・ストラットンは、客から預かったゴッホの<ひまわり>を輸送中、何者かに襲撃され、大切な名画を奪われてしまう。
すっかり信用を失った上、私生活では、恋人 莫凌との仲もギクシャク。
莫凌の叔父で、S.M.A.R.Tのメンバーでもある馬赫らとつるみ、セコイ詐欺で小遣い稼ぎをする日々。

あの襲撃事件から12ヶ月。
開店休業状態のS.M.A.R.Tに、幸運にも、美術館から仕事の依頼が舞い込む。
“十二月神瓶”と呼ばれる3600万ドルもする国宝級の青花器を、ロンドンへ運んで欲しいというのだ。

これは、汚名をそそぐまたとないチャンス。
早速、ダニー、馬赫、そして紅一点の婕婕は、ITヲタクの少年 叮噹を司令塔に、連携して十二月神瓶の輸送をスタート。

ところが、悪夢再び。
空港への道中、あろう事か、またまた襲撃に遭い、お宝強奪…。

ダニーは確信する、犯人は一年前のあの事件とと同一人物であると。
だったら、壺のみならず、ゴッホの名画も一緒に取り戻してやる…!
気乗りしないS.M.A.R.Tメンバーも、ダニーの熱意に負け、犯人の行方を探り始めるが…。


原題は『極致追擊~S.M.A.R.T. Chase』


これまでテレビ番組の演出を手掛けてきたイギリス人監督、チャールズ・マーティンによる初の長編映画作品。

私が、本作品の制作に関する第一報を知ったのは、2016年2月頃。
その時は、『世界最速のインディアン』(2005年)などでお馴染みのロジャー・ドナルドソンが監督が
メガホンをとると報道されていた。
いつの間にか、監督が交代していたのですね。


監督はイギリス人でも、キャストの大半は中華圏の俳優で、中国を舞台にした、れっきとした中国映画
日本に入って来る可能性は低いと思っていたが、意外にも日本上陸。
但し、限られた期間の小規模公開。
この機会を逃さぬよう、慌てて映画館へ。





本作品は、一度ならず二度も襲撃され、客から預かったお宝を強奪されてしまったプライベート・セキュリティー・エージェントS.M.A.R.T安保のダニーが、2ツの事件が同一犯によるものだと気付き、仲間と共に犯人を追い、お宝と失った信頼を取り戻そうと奮闘する姿を描くアクション映画


一年前の犯人と、新たな事件の犯人が、同一犯であることは、早々に判る。
判明に至る経緯には何のヒネリも無く、襲われた本人ダニーが「絶対に同じ人物だ」と言い切るので(笑)。

犯人からお宝を取り戻す経緯や、犯行グループの背後にいる真の犯人“黒幕”が誰なのか、またその黒幕の目的は何なのかというミステリー要素の方が見所かも。
(もっとも、そんな複雑な話ではないので、簡単に裏は読めてしまうが。)


物語の舞台は、中国・上海
大陸映画界は好景気で、贅沢な海外ロケをする作品が近年非常に多いため、本作品も、上海とロンドンの2都市を舞台に繰り広げられるものと想像していたら、空港に向かう道中でお宝が強奪されたので、上海で足止めを食らい、結局ロンドンへは行かず仕舞い。

私は、上海の景色を見る方が気分が上がるので、それでも別に構わないが。
近未来的夜景や、下町風情が残る場所など、イギリス人監督が感激したであろう上海の風景が、スクリーンを彩る。


使用言語は英語と中国語が7:3くらい。
日本語字幕は、英語からの訳と推測。
なので、上海へ行ったことのある普通の日本人観光客でさえ知っている有名ストリート“福州路”が、“フーチョウ道路”などと記されてしまう残念な訳も多い。





キャストは、大半が華人俳優。
配給会社は、どうやら中華エンタメに暗いようで、映画公式サイトのキャスト紹介は、不充分な上、間違いも多い。

スマートチェイス

まずは、プライベート・セキュリティー・エージェントS.M.A.R.T安保のメンバーから。
名誉挽回を賭け犯人を追うダニー・ストラットンにオーランド・ブルーム
ダニーの恋人 莫凌の伯父でもある馬赫に任達華(サイモン・ヤム)
ITヲタクの少年 叮噹に吳磊(ウー・レイ)
紅一点の婕婕に昆凌(ハンナ/ハナ―・クイリバン?)


日本に入って来る可能性は低いと思っていた本作品が、良い意味で予想に反し、日本公開に至ったのは、主演がオーランド・ブルームだからに違いない。
有り難う、オーリー。

そのオーランド・ブルームは、本作品に出演するに留まらず、本作品を制作する大陸大手 熙頤影業Bliss Mediaとの提携で、自身の映画制作会社 幸福開花 Blissbloom Productionを設立するほど、中国進出に意欲的な俳優。


中国進出の記念すべき第一弾であるこの『スマート・チェイス』、勝負の髪色は、おめでたいゴールド。
私個人的には、オーランド・ブルームはナチュラルな髪色の方がずっと似合うと思っている。
敢えてブロンドに染めたのは、黒髪の華人キャストたちの中で、“ガイジン感”を際立たせるための計算か?
台詞はほぼ全て英語だが、「你好」、「多謝」、「幫個忙」といったごくごく簡単な中国語は、所々で口にしてる。


華人俳優の中で一番の大物 任達華は、S.M.A.R.Tメンバーの中でも最年長だが、頼れるリーダーとか、素敵な紳士というより、若干チンピラ臭を醸す気のいいオジちゃんという印象の役。
(盗んだ敵のスマートフォンの指紋認証を解除する方法が、荒っぽくて、ギョッ!あれって、本当に可能?)


任達華は大好きな俳優だが、本作品に限って言えば、注目すべきは、任達華以上に吳磊じゃない…?!
日本の公式サイトでは、吳磊について一切触れていないし、チラシにも名前が出ていない。
もしかして申し訳程度にしか登場していないのか?と疑ったが、いざ映画を観たら、堂々の主要キャスト。

配給会社プレシディオは、中華エンタメを本当に解っていないと見た。
あのねぇー、子役出身の吳磊は、1999年生まれのまだティーンだが…

琅琊榜

大ヒットドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)麒麟の才子、風雲起こす~瑯琊榜』飛流役で大ブレイクし、日本でも彼を知る人は今や多いのヨ。


「カワイイ♪」と誉めそやされた子役出身者の多くは、成長とともに、その可愛さを失っていくものだが、吳磊は、これまで不細工になったことが一度も無く、身長も早々に180越え。
(現在182センチ。)

3歳で芸能界に足を踏み入れているため、若くても経験豊富な彼は、実力も折り紙付きで…

吳磊:お受験

北京電影學院の芸術試験を受験し、見事首席をとり、この調子でこの秋には入学するものと目されている。

…とまぁ、実力とルックスを兼ね備えた“奇跡の子役出身俳優”。

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彼も出演している張藝謀(チャン・イーモウ)監督話題の新作『影~Shadow』の公開も待ち遠しですねー。

なのに、『スマート・チェイス』でそんな吳磊を完全スルーしてしまうとは、配給会社プレシディオは、自分たちの“宝の持ち腐れ”に気付いていない…。


そんな吳磊に関しては、以下の“大陸男前名鑑:『琅琊榜』の麗しき殿方たち①”を参照。



すでに吳磊を知っている皆々様にとっては、『スマート・チェイス』は彼の成長の一過程に触れられる良い作品かも知れない。

扮する叮噹は、ドローンとパソコンを駆使して、S.M.A.R.Tメンバーに指令を出す今どきのIT少年。
最初の登場シーンでの眼鏡姿は特に可愛い。
『琅琊榜』では、「うん」、「やだ!」、「嫌い!」くらいしか喋らない無口な子だったのに、『スマート・チェイス』では、英語をいっぱい喋っていますヨ。
『琅琊榜』ファンの皆さまは、私のように、心の中で「頑張れ~」と母心で応援してしまうことでしょう。


あと、意外にも良かったのが、S.M.A.R.T唯一の女性メンバー婕婕。
演じている女優さんは、映画公式サイトで、“ハナ―・クイリバン”と紹介されているので、判りにくいが、“昆凌(ハンナ)”の表記で見れば、ピンと来る人も多いであろう。

スマートチェイス

そう、周杰倫(ジェイ・チョウ)に見初められ、大玉の輿に乗ったシンデレラ、あの昆凌である。(→参照

独身時代は、平凡な混血タレントだった彼女、結婚で一気に“天王嫂”に格上げされ、メディアへの露出も激増。
でも、演技で注目されたり、ましてや評価されたことは無かったので、『スマート・チェイス』も期待せずに観たが、これまでの“イイ子ちゃんだが退屈”なイメージを崩す、不良っぽい役を演じており、これが意外と良い。

昆凌は、中韓ハーフの母と、オーストラリア人の父のもと、台湾で生まれた混血女性で、3歳で両親が離婚した後は、父親に引き取られて育ったので、英語はまったく問題ナシ。
演技経験の乏しい彼女が『スマート・チェイス』に起用されたのは、英語力の高さもポイントだったかも…?

扮する婕婕は、根はいい子でも、一見ぶっきらぼうのスレッ枯らし。
アメリカ映画に出てくる、ダウンタウンの不良少女みたい。

昆凌を知らない日本の観衆がこの婕婕を見ても、“中の人”が子持ちの人妻だとは想像しないであろう。
しかも、撮影時、昆凌は、二人目の子を妊娠中。
その割りには、アクションシーンも頑張っている。
(で、その後、2017年6月に第二子となる男児を出産。)

ちなみに、中華圏ではほとんど使われていない昆凌の英語の姓“Quinlivan”は、日本では大抵“クインリヴァン”と表記されるはずであるが、映画公式サイトでは“クイリバン”
配給会社は、中国語どころか、英語さえよく解っていないのかも知れないという疑惑が…。





他のキャストも簡単にチェック。

スマートチェイス

ダニーの恋人 莫凌に熊黛林(リン・ホン/ホウ・リン?!)
ダニーとギクシャクしている莫凌に想いを寄せアプローチしてくる西幕に白梓軒(トム・プライス)
謎めいた富豪女性 嚴塔拉に梁靜(リャン・ジン)
嚴塔拉の手下 飛龍に釋行宇(シンユー)改め釋彥能(シー・イェンノン)
そして、美術館の宋館長に英達(イン・ダー)等々…。


当初、ヒロインは景甜(ジン・ティエン)と言われていたが、蓋を開けたら、熊黛林であった。
私は景甜の良さがまったく分からないので、熊黛林で良かった。
但し、扮する莫凌は、やや“お飾り”っぽく、特別惹かれる役ではなかった。

今まで観た中で、熊黛林が最も魅力的だったのは、台湾偶像劇の『王子様の条件~拜金女王』
日本で広く一般には、『イップ・マン』シリーズで甄子丹(ドニー・イェン)の妻を演じ、知名度を上げたはず。

…が、本作品公式サイトには、なぜか“ホウ・リン”の名で紹介…。
(チラシでは“リン・ホン”)

さらに言うならば、彼女は本作品に“Lynn Xiong”の名でクレジットされている。
日本では“香港のモデル”として認知されたため、広東語の発音“熊=Hungホン”で広まったのだろうけれど、元々南京出身の大陸の人なので、“熊=Xiong”、つまり“リン・シオン”とするのが無難。
ここまで“リン・ホン”が浸透してしまうと、変更は困難だろうけれど、少なくとも“ホウ・リン”は論外。


その熊黛林扮する莫凌にアプローチしてくるイケメンセレブ西幕を演じているのは、これまで台湾偶像劇のチョイ役くらいでしか目にする機会が無かった香港の白梓軒


脇を飾る女性で、熊黛林以上に存在感があるのは、実は梁靜
梁靜をスクリーンで見るのは、彼女の夫 管虎(グアン・フゥ)が監督した『ロクさん』(2015年)以来。
最近では、チャンネル銀河で放送中の中華版『深夜食堂』に出ているのを見たばかり。
両作品とも、梁靜は、野暮ったいオバちゃん役で出演しているのだが、今回『スマート・チェイス』で演じている嚴塔拉は、ガラリと変わり、華やかで怪しげなマダム。

スマートチェイス

化けますね。
『スマート・チェイス』嚴塔拉の髪型は、宝塚の男役のように撫でつけたオールバック。
指先には、時代劇でよく目にする付け爪“指甲套”を標準装備(!)。
これが、武器にもなるの(…!!)。

英語が上手いのも、ちょっと意外であった。
ネイティヴ並みに喋る昆凌のようなキャストを除いたら、梁靜の英語の発音が一番綺麗であった。
『深夜食堂』では山東訛りのズーズー弁を喋っていたし、梁靜は耳が良いのかも?


その梁靜扮する嚴塔拉の手下で、釋彥能が出演!
アクション映画なので、アクション系の俳優の出演は必須。
日本の配給会社は、釋彥能が出演している事にも、まったく触れていないのヨ。
もっとも、出演シーンは、そう多くはないけれど。

釋彥能

釋彥能は、元リアル少林僧
本気で闘ったら、オーランド・ブルームは、無傷ではイギリスに帰れなかったであろう。
『スマート・チェイス』のチャールズ・マーティン監督は、アクション映画を撮り慣れていないせいか、釋彥能を活かしきれていないようにも感じた。


英達扮する宋館長に関しては、見てのお楽しみ。
中国の范偉(ファン・ウェイ)や、日本の角野卓三のような雰囲気を醸しつつ、最近だと、曾志偉(エリック・ツァン)が演じそうな役であった(←これだけで、かなりのネタバレか)。






ほとんど宣伝されていないせいか、オーランド・ブルーム主演作なのに、映画館は閑散。

これ、“オーランド・ブルームが中国で演じているレア作品”として買われたのかも知れないけれど、“オーランド・ブルーム‘も’出ている中国アクション映画”として中華電影ファンに売り込み、シネマート辺りで上映したら、もっとお客さんが入ったのではないかと想像する。


アクション映画としては物足りなく、褒める部分もこれといって無いが、中華電影ファン目線からすると、実は結構な豪華キャストで、「オーリーが任達華の姪っ子と付き合っているのかー」とか、「オーリーと釋彥能が闘っている!」とか、「芸能人としては鳴かず飛ばずだった周杰倫の嫁が女優として開花!」とか、色々見所もある。

特に、『琅琊榜』ファンは、私たちの“飛流”吳磊を、スクリーンで見られる貴重な機会なので、上映打ち切りになる前に、急いで映画館へどうぞ。

ちなみに、監督はイギリス人でも、エンディングには、成龍(ジャッキー・チェン)作品のように、NGやメイキングのカットを集めたシーンが流れます。

祝・張震カンヌで審査員♪

2018年5月8日、第71回カンヌ国際映画祭開幕。
今年のカンヌでは、コンペティション部門の審査委員長に、オーストラリア出身の女優、ケイト・ブランシェットが就任したことは、もう随分前に発表されていたけれど、本日、審査員団他の顔ぶれも明らかに。

張震:カンヌ審査員2018

私が何を言いたいかお分かりになりました…?

張震:カンヌ審査員2018

そう、私が溺愛する張震(チャン・チェン)が今年の審査員になっているのです。
張震サマ、おめでとうございます♪

他のメンバーも紹介しておくと、アメリカの脚本家で監督のエイヴァ・デュヴァーネイ、フランスの監督ロベール・ゲディギャン、ブルンジ出身のシンガーで作曲家のカジャ・ニン、フランスの女優レア・セドゥ、アメリカの女優クリステン・スチュワート、カナダの監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、そして、ロシアの監督アンドレイ・ズビャギンツェフ。


カンヌの公式サイトでは、それぞれの審査員が過去にカンヌと関わった作品も掲載。
張震は(↓)こんな感じ。
張震:カンヌ審査員2018

結構ありますね。
作品数では、審査委員長のケイト・ブランシェット以上。
念の為、日本語で補足しておくと、画像上段左から、『黒衣の刺客』(2015年)、『停車~Parking』(2008年)、『ブレス』(2007年).
中段行って、『シルク』(2006年)、『百年恋歌』(2005年)、『2046』(2004年)。
そして下段、『グリーン・デスティニー』(2000年)、『ブエノスアイレス』(1997年)。

内、コンペティション部門に入選した作品は、古い順に、『ブエノスアイレス』、『2046』、『百年恋歌』、『ブレス』、『黒衣の刺客』の5作品。
その内訳、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品2本、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品2本、そして、韓国の金基德(キム・ギドク)監督作品1本。
私好みの監督&作品ばかり。


台湾人がカンヌで審査員を務めるのは、李安(アン・リー)監督、女優・舒淇(スー・チー)に続き3人目、華人の男優に絞ると、2003年の姜文(チアン・ウェン)以来なのだとか。
(もっとも姜文は、俳優業のみならず、監督としても広く知られているが。)
華人でも女優なら結構いて、昨年も范冰冰(ファン・ビンビン)が審査員をやっている。
そんな訳で、すでにあちらでは、“台灣之光”、“華人之光”と明るいニュースに。

一方、張震が“Chinese Actor”と紹介されている事も、いくつかの台湾メディアが早速食い付いている。
これ、主催者側の間違いではなく、張震合意の上で表記されている可能性もあると想像する。
数年前のカンヌで、舒淇が“Chinese Actress”とされた際も、台湾メディアが真っ先に食い付き、「舒淇自らが“中国ではなく台湾だ”と毅然と否定した」などと勝手に盛って報道し、映画なんて観ない日本のネトウヨまで中国憎しの念だけで盛り上がり、誤報が拡散されていったが、その後、舒淇が「そんな事は言っていない」とその誤報を否定し、火消しに奔走する羽目となった。
張震が不服に感じたら、張震自身が訂正を申し出るだろうから、外野が面白半分で煽るのはやめて欲しい。
私の張震を無駄に騒動に巻き込まず、そっとしておいて欲しいワ。


【追記】
やはり張震側は、表記について、事前に合意していただろうし、その結果、台湾国内で不服の声が上がるのも予測していたものと思われる。
台湾の外交部は、早速、主催者に“台湾”と表記するよう訂正を求めたようだが、対して、張震の所属事務所が出した声明は、張震の背景について「祖籍は浙江、生まれは台北」と明記しているものの、あとは、結局のところ何が言いたいのかよく分からない曖昧な表現に留めており、勿論「訂正を求める」などという文言は一切ない。

外交部にとってはこれも“政治”だが、国の枠に囚われず活動している張震にとっては、穏便に収束させたい騒ぎでしかない。
日本でも、張震ファンを自認する人たちは、張震の立場や気持ちを汲んで、これ以上騒ぎを大きくしないで欲しい…。
そもそも、映画祭公式サイトに「Nationality : Chinese」という明記は無い。
英仏語の“Chinese Actor/Acteur Chinois”は、必ずしも“中国国籍を有している俳優”という意味ではなく、広く“華人”を指すことは、台湾でも、判っている人は判っている。


そんな張震も審査員を務める今年のカンヌのコンペティション部門に、東アジアからは4作品が入選。

カンヌ国際映画祭2018

日本からは最多の2本で、是枝裕和監督の『万引き家族』と濱口竜介監督の『寝ても覚めても』、中国からは賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『江湖兒女~Ash Is Purest White』、そして、韓国から李滄東(イ・チャンドン)監督の『バーニング~버닝 Burning』。

全部観たい。
日本の2作品は、公開確実だから問題なし。
最も観たい『江湖兒女』は、ビートたけしの独立問題でオフィス北野が揺れながらも、取り敢えず今年は、東京フィルメックスの開催が決定したので、そこに期待。
(フィルメックスは、来年以降がホント心配…。今まで無関心だった芸能人の独立騒動を、この度初めて注視した。オフィス北野が手を引いたら、どうなってしまうのか…。フィルメックスの存続を強く願っております!)

映画『グレート・アドベンチャー』

グレートアドベンチャー

【2017年/中国/108min.】

17世紀の中国で作られた“ガイア”。
それは“森之瞳”、“命之翼”、“靈之泉”という3ツのパーツから成る美しい首飾り。
盗賊の張丹は、その内の一つ、森之泉を、ルーヴル美術館から盗み出すも、その直後、何者かに襲われ、お宝を持ち去られた上、警察の御用となってしまう。

5年後、刑期を終え、出所した張丹は、雪辱の大仕事に動きだす。
信頼できる弟分 小寶に、新たな女性メンバー葉紅を加え、長年敵対関係にあるフランス人刑事ピエールが目を光らせる中、ガイアの一つ命之翼を盗み出すことに成功。

そこに新情報が舞い込む。
古城に暮らすチャーリー・ルオという中国成り金が、靈之泉を所有しているというのだ。
記者を装った葉紅が、早速チャーリー・ルオに接近すると、彼はまんまと葉紅の色香に堕ち、計画は半ば成功したかに思えたが…。



『TAICHI/太極』(2012年)以来5年ぶりの馮德倫(スティーヴン・フォン)監督作品。


原題は『俠盜聯盟~The Adventures』
2017年秋、東京・中国映画週間で『ザ・アドベンチャーズ』の名で上映されたが、私は観に行けなかった。
そうしたら、『グレート・アドベンチャー』と邦題を変え、一般劇場公開されたので、今度こそ鑑賞。





本作品は、本来3ツのパーツから構成されていたものの、今ではバラバラに点在している貴重な首飾り“ガイア”を巡り、張丹率いる窃盗団、張丹を長年追い続けているフランス人刑事ピエール、そして、かつて張丹を罠に嵌めた謎の敵らが、ヨーロッパを舞台にせめぎ合いを繰り広げるアクション娯楽作


2013年、カンヌ国際映画祭開催中のフランス カンヌで、高級宝飾品が相次いで消えるという窃盗事件が発生したことは、日本でも報道された。
本作品は、あの事件からインスピレーションを得た馮德倫監督が、自ら脚本を書き下ろしたオリジナルストーリー。


大泥棒 張丹率いる窃盗団には、峰不二子ちゃん的立ち位置の女性メンバーもいて、銭形警部のように、張丹を長年追い続けてるフランス人刑事が目を光らせる中、曰く付きの高級首飾りを狙い、ヨーロッパ中を駆け巡る華麗なる活劇は、よく言われているように、実写版『ルパン三世』を思わせる。


物語の主軸となる、お宝争奪戦や、泥棒と警察の攻防戦以外に、5年前に張丹を陥れた謎の人物を探るちょっとしたミステリーや、その人物に対する復讐劇、張丹と元婚約者アンバーの愛憎劇仲間の裏切りといった要素も盛り込まれている。
(但し、それらの描き方は浅く、先が簡単に読めてしまう。)





この壮大なバトルが繰り広げられる舞台は、主に、フランスチェコウクライナ

チェコのシーンでは、同国を代表する大作曲家べドルジハ・スメタナのあまりにも有名な<わが祖国>を流すというベタな演出。
大変素晴らしい曲だが、この映画の作風からは、浮いているように感じてしまった。





キャストは、まず、3人組窃盗団を演じているのは…

グレートアドベンチャー

チームのリーダーで、その名を広く知られる大盗賊・張丹に劉德華(アンディ・ラウ)
張丹の弟分 陳小寶に楊祐寧(トニー・ヤン)
新たにメンバーとして加わる紅一点、葉紅に舒淇(スー・チー)


主演の劉德華は、プロデューサーも兼任。
劉德華は変わることなく、この映画でも、やはり劉德華!といった印象の役。
ヨーロッパを舞台にした劉德華主演の華麗なお洒落泥棒のお話という共通点で、『イエスタデイ、ワンスモア』(2004年)が重なった。


台湾の楊祐寧が演じている小寶は、1989年、高雄生まれの童貞という設定。
葉紅にアプローチする様子から、彼女に気があるのは一目瞭然だが、“ウブな男の子”を強調するような役ではなく、案外フツー。

先日再見した『恋するシェフの最強レシピ』(2017年)で演じている軽薄で馬鹿っぽいレストランマネージャー程子謙の方が、面白味があった。
その『恋するシェフの最強レシピ』再見の際、こちらに記したように、本作品でも、楊祐寧の英語名は“Yo Yang”でクレジットされているのを確認。
日本の皆さま、彼はもはや“トニー・ヤン”ではありません。


舒淇は、本作品の撮影中、本作品の監督で、かねてから交際の噂があった馮德倫と入籍。

グレートアドベンチャー

おめでとうございます!朗らかな可愛らしい夫婦。
『グレート・アドベンチャー』は、初めての“夫婦共同作業”といったところか。

新妻 舒淇扮する葉紅の七変化は、作品の一つの見所と言えるかも。

グレートアドベンチャー

『ルパン三世』の峰不二子のように、女を武器にターゲットに接近するシーンもあるけれど、基本的には、お色気キャラというより、ブッ飛んだ女の子という印象。

私は、舒淇が香港映画で数多く演じてきたキャピキャピの女の子より、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品で見せる、神秘的で儚げな女性の方が断然好みなのだが、本作品の葉紅は、どちらかと言うと、前者に近い。
つまり、“香港映画の中の典型的な舒淇”を演じている感じ。

私生活で夫となった馮德倫監督が撮りたかった舒淇って、こういう舒淇なの…?
ちょっと残念。
もう40過ぎているし、こういう役はそろそろ卒業しても良いのでは。
もっと違う舒淇が見たい。





他の注目キャストもチェック。

グレートアドベンチャー

靈之泉を所有する成り金、查理·羅(チャーリー・ルオ)に沙溢(シャー・イー)
張丹の元婚約者アンバーに張靜初(チャン・ジンチュー)
張丹が師と慕う金剛に曾志偉(エリック・ツァン)
長年張丹を追い続けるフランス人刑事ピエールにジャン・レノ
取り引きに応じるウクライナの闇商人にカレル・ドブリー等々…。


馮德倫監督が、張靜初を起用した大きな一因は、やはり彼女の英語の会話力だったみたい。
これっぽっちの留学経験も無いとは信じ難い。
海外育ちの華僑を除いたら、張靜初の英語は中華芸能トップレベル。
これまでにも、作中英語を披露する機会はあったけれど、今回は、中国作品でありながら、台詞の多くが英語である。

扮するアンバーは、主人公 張丹の元婚約者で、悪党の彼を憎みながらも、腐れ縁を断ち切れず、張丹の命運を左右する結構重要な役。

なのに、そんな主要キャストの張靜初を、なんと、日本の配給会社が、出演していないことにしてしまうという不手際…。

グレートアドベンチャー

チラシに、“チャン・ジンチュー(張靜初)”の名は無く、代わりに有るのは、本作品にはカメオ出演さえしていない“シュウ・ジンレイ(徐靜蕾)”…!

かねてから、邦題や人名に片仮名表記をやたら使いたがる傾向にある、この某配給会社が、案の定、片仮名で間違いを犯した。
“ジン(靜)”しか合ってないじゃん…!

そもそも中国語の複雑な発音を、日本語の50音に当て嵌めることには相当な無理があり、“チャン”だの“チェン”だの“ション”だのと、似たり寄ったりになり、紛らわしい。
“張靜初”と“徐靜蕾”は、漢字で見れば、明らかに違う名で、誤表記は起こりにくい。
H社よ、片仮名表記への無意味な固執は、いい加減やめましょう。


曾志偉扮する金剛は、主人公 張丹が信頼する師匠だが、実は事件の黒幕だったという大ドンデン返し。
驚くべき展開なのに、驚けないのは、『スキップ・トレース』(2016年)で演じた、成龍(ジャッキー・チェン)を裏切る黒幕 白志勇とキャラがカブるからかも。


ヨーロピアン俳優枠では、より重要な役で出演するジャン・レノより、終盤、取り引き相手としてチラリと出てくるだけのウクライナの俳優、カレル・ドブリーの方に、惹き付けられた。

カレル・ドブリーが登場するだけで、スクリーンの中の空気が一瞬にしてガラリと変わり、お気楽エンタメ作品が、ヨーロッパのアート系作品になったような錯覚が。





観ている間はそれなりに楽しめても、終わってみたら、何も残っておらず…。
その一番の要因は、新鮮味に欠ける有りがちな娯楽作に納まっているからだと思う。

前述の作品全て、つまり、『ルパン三世』をベースに、『イエスタデイ、ワンスモア』『スキップ・トレース』等の要素をミックスした感じなので、“初見の映画”で得られるはずの新鮮な驚きが得られない。


出演者も、観衆が自分に求めがちなイメージをそのまま演じているかのよう。
成り金を演じる沙溢と、闇商人を演じるカレル・ドブリーだけが、凡庸な作品にちょっと違う風を吹き込んでくれていた。


ヒマ潰しやデートムーヴィには良いかも知れないけれど、私にとっては、満額払ってまで観るほどの作品ではなかった。


“トニー・ヤン”改め“ヨー・ヤン”の楊祐寧は、『恋するシェフの最強レシピ』に本作品と、最近、思い掛けず、出演作を立て続けに鑑賞。
どちらも主演ではないけれど、30代も半ばになり、地道に足場を固めているという印象。

この『グレート・アドベンチャー』の後は、『モンスター・ハント』(2015年)の続編『捉妖記2~Monster Hunt2』、人気ゲームの映画版『真·三國無雙』と、話題作への出演が続く。
古天樂(ルイス・クー)が呂布、王凱(ワン・カイ)が曹操を演じる『真·三國無雙』に、楊祐寧は劉備役で出演ですって。
今後の活躍も注視。

映画『ウィンストン・チャーチル~ヒトラーから世界を救った男』

ウィンストン・チャーチル

【2017年/イギリス/125min.】
1940年5月9日。
勢いに乗るドイツ軍が、次々と欧州を制圧していく中、対独融和の政策をとってきたネヴィル・チェンバレンが、野党・労働党からの激しい批判を浴び、首相辞任へと追い込まれる。
早速、次の首相選びが始まるも、支持者の多いハリファックス卿は、自ら辞退。
も一人の候補者ウィンストン・チャーチルは、これまで失策が多い上、変人ぶりで、党内でも煙たがられていたが、この窮状では止むを得ず、新首相就任の決定が下される。

翌5月10日。
ハリファックス卿とも親しい国王ジョージ6世は、必ずしも納得しないまま、バッキンガム宮殿に呼んだチャーチルに、首相就任の大命を告げる。
こうして自身の内閣を発足させたチャーチルは、ダンケルクで窮地に追い込まれた英仏連合軍を救出すべく、早速動きだすが…。


『プライドと偏見』(2005年)や『つぐない』(2007年)で知られるジョー・ライト監督のこの新作は、第90回米アカデミー賞で6部門にノミネートされ、内、主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した話題作。

ウィンストン・チャーチル

特殊メイクを担当し、その賞を受賞したのが、アメリカを拠点に活動する日本人・辻一弘で、この部門の日本人受賞は初めてだった事もあり、日本では大々的に報道。
かくして、本作品は、日本で久々に大きく扱われるイギリス映画に。
想像していた通り、映画館はかなりの賑わい。
私は、アカデミー賞とは趣味が合わないことが多いので、本作品も過度の期待を抱かず鑑賞。





本作品は、首相に就任したばかりのウィンストン・チャーチルが、ヒトラー率いるドイツ軍に強硬な姿勢を貫き、絶体絶命の危機に陥った約30万人の兵士を、ダンケルクから救出させることを成功させるまでの27日間を描いた歴史ドラマ


最近、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の伝奇映画『妖貓傳~Legend of the Demon Cat 』(原題)が、空海の伝記映画との誤解を招く『空海 KU-KAI』の邦題で公開され、案の定、「タイトル詐欺!」と大批判を浴びたので、これも先にタイトルについて記しておく。

本作品の原題は『Darkest Hour』であり…

ウィンストン・チャーチル

かのウィンストン・チャーチル Winston Churchill(1874-1965)の名前は、どこにも入っていない。
しかし、『空海』とは異なり、チャーチルを中心に描くチャーチル映画であることは紛れもない事実なので、「タイトル詐欺!」と怒る人は、あまり居ないであろう。

但し、“チャーチル映画”であっても、チャーチルの生涯を描く伝記映画ではない。
第二次世界大戦初期、イギリス首相就任から、フランス・ダンケルクの兵士を撤退させる“ダイナモ作戦”を成功させるまでのたった27日間に焦点を絞って描いているのが特徴。


たった27日間とはいえ、そこには、我々後世の者がイメージするチャーチル像や、チャーチルにまつわるエピソードが所々に織り込まれている。

例えば、チャーチルと言えば、葉巻と同じくらい、Vサインをしている写真をよく目にする。
映画によると、チャーチルは、“勝利”を意味するVサインをする若者を新聞で目にし、これを気に入り、自分も早速記者のカメラに向けやってみて、その姿が新聞に掲載。

ウィンストン・チャーチル

ところが、このVサインは、手のひらが内側。
この新聞記事を見た、秘書のエリザベス・レイトンから、「これだと“Victory”ではなく、“Up your bum”の意味になってしまいます…」と恐る恐る助言されると、下々の者たちのお下劣なジェスチャーなど知らなかったチャーチルは、「そうか、“Up your bum”なのか!ハッハハ!!」と馬鹿ウケしながらも、次からは、手のひらを外側にして、Vサインをするようになる。
(オジさんが、下手に若者を真似ると、間違ってしまうというのは、国や時代に関係ないようだ。)

ウィンストン・チャーチル

そんな訳で、チャーチルのVサイン写真には、2パターン有るのですね。


もう一つ、強く印象に残っているのが、チャーチル様の地下鉄初体験。
上流階級出身で、生まれてから一度も地下鉄なんかに乗ったことが無かったチャーチル様が、いきなりお車から降り、たった一人で、最寄りのセント・ジェームズ・パーク駅へ向かい、ディストリクト線に乗って、ひとつ先のウェストミンスター駅へ向かう車中で、下々の者たちとの交流を描くシーン。

ウィンストン・チャーチル

これはフィクション。
チャーチルが、一人で地下鉄に乗ったなどという史実は残されていないようだ。
車中でのやり取りは、私個人的には同意できない台詞が数多く飛び交うのだが、それはここでは取り敢えず置いておき、それ以外に、かなり驚いた事が一つ。
なんと、チャーチルは、地下鉄の車内で葉巻を吸おうとするのだ(!)。
ところが、マッチが見当たらない。
すると、すでにタバコを吸っている(!!)一人の乗客が、チャーチルにマッチをあげるの。
世間知らずのチャーチルが、場所を考えずに、葉巻を吸いたがるのは分かるけれど、マッチを差し出すくわえタバコの庶民まで居るという事は、つまり、1940年当時、ロンドンの地下鉄は、喫煙OKだったということ…?!
しかもねぇー、葉巻に火を点けたチャーチルは、そのマッチを床にポイ捨て…!ビックリ!
日本でも、昭和のある時期までなら、長距離列車などは、喫煙できたはずだが、いくらナンでも地下鉄は火気厳禁じゃないの…??!

このシーンについて、さらに言うと、たったひと駅がやたら長い。
1940年代当時、地下鉄はこんなノロノロ運転だったのだろうか。




主人公ウィンストン・チャーチルを演じるのは、ゲイリー・オールドマン

ウィンストン・チャーチル

実在の人物を演じるのは、その人物が有名であるほど、難しいもの。

振り返ると、私がゲイリー・オールドマンを知ったのも、彼が実在の人物シド・ヴィシャス(1957-1979)を演じた1986年の映画『シド・アンド・ナンシー』であった。

ウィンストン・チャーチル

ゲイリー・オールドマンは、いわゆる“美男”に属する俳優ではない。
対してシド・ヴィシャスは、私の中で“カッコイイ”に属する男性で、しかも若くして亡くなり伝説化していたため、『シド・アンド・ナンシー』のゲイリー・オールドマンには、当時、好印象がなかった。

ところが、その後、ゲイリー・オールドマンは実力派として、めきめきと頭角を現し、気が付けば、すでに還暦の名俳優。
役者寿命延命の鍵は、朽ち易い美しい顔より、実力である。

本作品一番の見所は、脚本や美術など以上に、ゲイリー・オールドマンの“成り切りチャーチル”だと感じる。
元の顔は、チャーチルとは程遠いので、そこは特殊メイクに頼っている。

ウィンストン・チャーチル

ひと昔前の特殊メイクは、明らかにメイクと判るワザとらしい物だったけれど、技術の進歩は凄い。
顔に何かを貼り付けているという異物感がまるで無い。
それは、喋ったり、顔を動かしている時もである。

実際のチャーチルとも比較。

ウィンストン・チャーチル

かなり近い。
技術的には、恐らく瓜二つにすることも可能なのではなだろうか。
このメイクでは、ゲイリー・オールドマン自身の個性も残しつつ、現代人の我々が「チャーチルってきっとこんな人」と錯覚できるチャーチル像に仕上がっている。

特殊メイクに頼ることには、賛否両論あるだろうが、この容姿で演じられると、説得力は格段増す。
力強いスピーチをするカリスマ性と、逆に妻クレメンティ―ンの尻に敷かれているお茶目な面のギャップなども、面白い。





日本では、概ね好評のようだが、私個人的には、評価しにくい作品であった。
たった27日間に焦点を絞り、そこからチャーチル像を浮かび上がらせるという脚本や、ゲイリー・オールドマンのチャーチル成り切り度の高さ等、作品としてのクオリティは充分高いと思うけれど、お話の内容自体には、何とも釈然としないモヤモヤ感が残った。

実際のウィンストン・チャーチルは、バリバリの帝国主義者で、インド政策など、共感できない部分も多々あれど、キャラが際立つ“面白い”人物ではある。
私は、この映画を観たことで、チャーチルのイヤな面の方を、余計に覗いてしまった気がする。

鑑賞しながら、どうしても考えてしまったのが、“現在の日本のトップが、このチャーチルのような人物だったら…”という事。
作中、チャーチルは、報道を操作し、現状、イギリスが劣勢であることを国民には伝えず、得意の話術で、人々に、ドイツという敵に対し、交渉は無駄、ただ強く立ち向かうのみ!と煽りまくる。
「ここで屈し、たとえ生き長らえても、ハーケンクロイツがはためくイギリスの空の下で生きて、それは幸せと言えるのか?!」とか、「我々は屈しない!家族や命を失っても、戦おう!」などとホザくわけ。
地下鉄の車内で、そんな事を言われた下々の者たちが、「そうだ!我々は決して屈しない!戦おう!」と大唱和する気味の悪さよ…。

戦後70年以上経った今、世界中で、ヒトラーもナチスも“悪”と評価されているため、その揺ぎない完全悪を相手に、果敢に挑む勧善懲悪の物語を作っても、誰からも文句は出ない。
でも、それはナチス惨敗の現実があっての結果論でしかない。
未来なんか予測できないのに、今現在、作中のチャーチルと同じような事を言って、他国を敵視したり、戦意を煽るような人物がいたら(実際に居る)、私にとっては、危険人物でしかない。
また、そのような言葉に国民が安易に煽られ、妙な熱気に包まれる風潮も、異常で不気味。

アメリカは、元々愛国ヒーロー物が好きだろうけれど、イギリスまで、こういう映画を作ってしまうとは…。
私の勝手な想いだが、イギリスには、自国にもっとシニカルでいて欲しかった。

それにしても、チャーチルは、朝っぱらから葉巻をくわえて、お酒を呑み、あんなにコロッコロに肥え、不健康にしか思えないのだが、それでも90まで生きたなんて、やはりあれくらいギラギラした人は、生命力が凄まじい…。

再見『恋するシェフの最強レシピ』

恋するシェフの最強レシピ

2017年秋、東京国際映画祭にて『こんなはずじゃなかった!』の邦題で上映された、金城武+周冬雨(チョウ・ドンユィ)主演作『喜歡·你』が、『恋するシェフの最強レシピ』と邦題を変え、一般劇場公開されたので、改めて鑑賞。


実は、その再鑑賞から少し時間が経ってしまっているし、この作品は、単純なラヴコメなので、改めて観たところで、大きな新発見は無いのだけれど、感じた些細な事を、備忘録程度に簡単に残しておく。

作品の詳細は、以前、こちらに記した『恋するシェフの最強レシピ』を。

★ 再見『恋するシェフの最強レシピ』

恋するシェフの最強レシピ

上映館の新宿武蔵野館で、ポストカードを頂きました~。
プレゼントがあることを知らなかったので、得した気分。
ポストカードは何種類か有るようだが、私が頂いたのは、(↑)上の画像の物。
バルコニーで夕日を眺めるラストシーン。


日本語字幕は、正式公開にあたり、変えている気がする。東京国際映画祭の時と違う。


せっかく字幕を変えたのに、登場人物の名が片仮名表記のままなのは、残念。
例えば、女性主人公の名は、我々日本人には滑稽にも感じる“勝男”である。
それを“ションナン”などと表記されてしまったら、意味が分からないし、面白みにも掛ける。
やっぱ“カツオ(勝男)”でしょっ…!


ましてや、“トリュフ”を字幕で“松露”と記すなら、人名くらい漢字にして欲しい。


わざわざ邦題を変える必要はあったのか?
金城武繋がりで、『恋する惑星』(1994年)に絡ませたのだろうか?
日本人が“恋する~”を頻用するようになり、早二十年以上が経過。
もういい加減やめたら如何でしょうか。


東京国際映画祭で使われた邦題『こんなはずじゃなかった!』は、本作品の英語タイトル『This Is Not What I Expected』の訳である。
こちらの方が、まどろこしい『恋するシェフの~』より、スッキリしていて、記憶に残り易い。


邦題を変えてしまうと、情報が混乱するし、そもそも、原題と掛け離れた邦題にすると、多少の弊害もある。
昨今、映画ファンや、誰か特定の海外俳優のファンなどは、早い時点でネットを通じ、現地の情報を得ているし、その原題のまま、SNSで発信している人も多い。
配給会社のヘタな宣伝より、素人の情報の方が効力を発揮している場合も多いのです。
もちろん趣味のいい邦題を付けられるのなら、原題に囚われることはないけれど、“趣味のいい邦題”って、残念ながら、あまり無い(特に香港系の映画)。


私がこの映画を再見したのは、最近出演作がなかなか日本に入って来ない金城武を、劇場のスクリーンで拝める貴重なチャンスだから。
髪に白い物が混ざる、渋く、素敵な中年になっても、金城クンは、こういうライトなラヴコメがイケる。
この映画で、私に不足していた金城成分を補充でき、満足、満足。


本作品では、相手役の周冬雨(チョウ・ドンユィ)も、やっぱり魅力的。
いわゆる美人女優ではないけれど、キュート。
程子謙(楊祐寧)にフラれ、酔っ払って、「私って、そんなに醜い?!」と路晉(金城武)に絡み、路晉から、「そうだな、醜いな。しかも、中途半端に醜い。醜さも極めれば“特別”になるが、君は半端だ」と、傷口に塩を摺り込まれるような毒舌を吐かれるシーンで、吹いた。


出番は少ないが、勝男をフるその程子謙に扮する楊祐寧(トニー・ヤン)が、これまた良い。
これまでは、“誠実”、“好青年”と形容される、ともすれば退屈な役が多かったけれど、本作品の程子謙は、ホント、馬鹿っぽくて、面白い。


日本では、“トニー・ヤン”表記が定着している楊祐寧だが、今回、本作品のエンディングをチェックしたら、“Yo Yang”とクレジットされていた。
日本でも昔から彼のことを“祐祐(ヨウヨウ)”と呼ぶファンは多かったし、“Tony”はやめ、海外向けには、本名に近い“Yo”を、ニックネーム的に使うようになったのかも知れない。
漢字の名は常に“楊祐寧”で変化ナシ。
(だから、字幕の人名同様、華人俳優の名も、漢字で表記すべき。日本は、漢字を持たない欧米とは違う。同じ漢字文化圏の国だというメリットが、まったく活かされていない。)


劇場で売られているパンフレットに、「金城武が掛けている眼鏡は、『キングスマン』でも使われているクレア・ゴールドスミス」と説明されているが、私の間違いでなければ、以前当ブログの映画の感想の項にも記したように、『キングスマン』で使われているのは、カトラー&グロスであり、クレア・ゴールドスミスではない。
中国側から提供された資料を日本でそのまま訳したのだろうけれど、元の資料がそもそも間違っている。


そのパンフレットに、「心をとろかせる!?10のセリフ」というページあり。
まんま10の台詞を抜粋しているのだが、日本語訳だけじゃなく、対にちゃんと中国語の台詞も記されている。
今、中国語を勉強している人は多いので、こういうのイイんじゃない…?





この映画、新宿武蔵野館での上映は、2018年4月13日(金曜)まで。
何も考えずに楽しめ、幸せ気分になれるので、興味のある方は、この機会にどうぞ。


映画『恋するシェフの最強レシピ』についての詳細は、こちらから。

映画『空海 KU-KAI~美しき王妃の謎』

空海

【2017年/中国・日本/131min.】

貞元21年(805年)、唐の都・長安。
金吾衛・陳雲樵の屋敷に、気味の悪い妖猫が住み着くようになる。
間も無くして、皇宮では、第12代皇帝・德宗がみるみる様相を変え息絶える。
記録係・起居郎の白樂天は、德宗の側近から「風邪で崩御」と記すよう命じられるが、釈然とせず、参内した倭国からの僧侶・空海に、その疑問をぶつける。
空海が、床に見付けたのは、猫の毛と「次は太子・李誦」という不吉な言葉。
「皇帝の死には、一匹の猫が関係している」という空海の推測に、驚きを隠せない白樂天。
詩人になると決めていた白樂天は、これを機に宮中の職を辞し、親しくなった空海と行動を共にするように。

ある日、胡玉樓を訪れた二人は、そこで宴をひらいていた金吾衛・陳雲樵が、突如現れた妖猫に襲われるところを目撃。
なぜ皇帝や金吾衛ばかりが狙われるのか…?
さらに、この妖猫は、陳雲樵の妻・春琴に憑依。
春琴の体を借りた妖猫は、訪ねて来た空海と白樂天に、その昔、陳雲樵の父親・陳玄禮に生き埋めにされたと口にする。
空海の脳裏に、かつて馬嵬駅で最期を迎えた楊貴妃のことがふと浮かぶ…。



陳凱歌(チェン・カイコー)監督が手掛けた日中合作映画。
原作は、夢枕獏の小説<沙門空海唐の国にて鬼と宴す>。
それを陳凱歌監督と共に脚本にしたのは、『恋人たちの食卓』(1994年)、『グリーン・デスティニー』(2000年)、『ラスト、コーション』(2007年)といった李安(アン・リー)監督作品でお馴染みの台湾人女性脚本家・王蕙玲(ワン・フイリン)。


私は、クランクインの時から、この作品を楽しみにしていて、原作小説も読み、公開待ち。
なのに、配給会社の角川&東宝が、妙なプロモーションを展開し始めたため、徐々に不安が募り、遂には、“日本語吹き替え版のみ”という前代未聞の公開に踏み切ったから、怒り心頭。


結果、二社が展開したプロモーションは失敗し、公開からひと月後、これまた前代未聞で、言い訳がましく“インターナショナル版”の名目を掲げ、オリジナル言語+字幕版を急遽公開という運びに。
吹き替え版にはビタ一文払う気の無かった私は、こうしてようやく映画館のスクリーンで鑑賞に漕ぎ着けた。

第一印象、気付いた事などは、鑑賞当日にざっと記した(↑)こちらを。

今回、ここでは、改めて、作品の詳細を。





原題は『妖貓傳~Legend on The Demon Cat』。
この原題からも察しがつくように、本作品は、原作小説<沙門空海唐の国にて鬼と宴す>の中から、妖猫のエピソードに焦点を絞り、倭国の僧侶・空海と、詩人・白樂天が、唐の都・長安を震撼させている怪事件の調査に乗り出し、やがてそれが30年前の楊貴妃の死の真相に繋がっていることを突き止めるまでを描く伝奇映画


原作小説は、全4巻もある大作である。
それを2時間強の映画にまとめるため、前述のように、妖猫のエピソードを中心に構成されているが、他にもアレンジは色々とあり。

原作との大きな違いを2ツだけ挙げると、まずは、主人公コンビ。
原作も映画も共に“バディもの”である。
原作では、天才・空海(774-835)と、充分頭は良いが空海と比べると凡人の橘逸勢という日本人二人がコンビを組んでいるのに対し…

空海

映画での空海の相棒は、原作の中では扱いがやや小さな白樂天(772-846)。
そう、“白居易”の名で広く知られる唐を代表する詩人。
この二人をコンビにしたのは、日中合作映画だからであろう。便宜上とはいえ、よきカップル。萌え。


もう一つの違いは、楊貴妃にまつわる謎。
原作も映画も、倭国の空海が、唐に留学していた頃(804-806)、つまりは、唐朝第12代皇帝・德宗(742-805)から第13代皇帝・順宗(761-806)に皇位が継承される頃を主軸に、それより約50年前(映画では、何故か“30年前”と明記)、第9代皇帝・玄宗(685-762)の時代に遡り、玄宗が楊貴妃(719-756)を寵愛しすぎた事に端を発した安史の乱にリンクさせているのは、共通。

原作の方では、楊貴妃が、実は道士・黃鶴の娘だった!という驚きの解釈がされている。
玄宗に妻を殺された黃鶴が、その妻に似た楊玄琰の女房を、幻術を使ってモノにし、彼女に産ませた女児・楊玉環を、玄宗に娶らせるという、時間と手間をかけた復讐劇が展開される。
一方、妖猫に焦点を置いている映画では、その“楊貴妃=黃鶴の娘”というくだりはバッサリ割愛。楊貴妃は、馬嵬駅で、黃鶴が施す尸解の法により仮死状態にされるが、その仮死の状態が2日しかもたないことを知らされず、騙されていた黃鶴の弟子・白龍が、楊貴妃への深い想いから、妖猫と化し、後の世で復讐を企てる物語に変えられている。
ちなみに、原作では、楊貴妃は死にましぇーん!(←『101回目のプロポーズ』風)





本作品の見所の一つは、6年を費やし、湖北省・襄陽(じょうよう)に創り上げたという唐の街並みを再現したセットであろう。

空海

セットを超越した、もうまんま“街”まるごと一個。
このスケールは、国土が小さく、景気も芳しくない日本に暮らす日本人には信じ難い。
同じ唐代を背景にした『黒衣の刺客』(2015年)を撮る時、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督は、「もはや大陸で唐代の建物を探すのは困難」と言い、唐の影響が色濃く見られる奈良や京都などの古寺で撮影を行ったが、「無ければ建てる」という手を使ったのが陳凱歌監督(笑)。かつて『始皇帝暗殺』(1998年)を撮影する際、横店に秦王宮をドカーンと建てたのも、陳凱歌監督である。

勿論、これらのセットは一度で取り壊されるわけではなく、その後、他作品の撮影にも使い回しされる他、一般にもテーマパークとして開放。
秦王宮のみならず、原寸大の紫禁城や、広州、香港の街並みなどを再現した横店は、今でも日々多くの作品の撮影に使われているし、日本からも見学に行く人がいる人気の観光スポットである。
襄陽に創られたこのセットも、この先、唐代を背景にした作品の撮影にどんどん使われるだろうし、唐城影視基地(通称“中國唐城”)というテーマパークとして、すでに一般に開放されている。
入場料90元で、皆さまも“『空海』ごっこ”ができますヨ。
(但し、襄陽は、高速鉄道で武漢から2時間かかるらしい…。)




出演者をチェック。まずは、主演のコンビ。

空海

倭国からやって来た僧侶・空海に染谷将太
唐の詩人・白樂天に黃軒(ホアン・シュエン/ホアン・シュアン


染谷将太は、海外作品初主演。
私は、彼がキャスティングされたことを知った上で、原作小説を読んだのだけれど、マイペースな天才タイプで、真意が見えにくい神秘性を持ちつつも、人たらしな空海が、染谷将太にピッタリだと感じた。
実際に映画を観ても、やはり役に合っていると改めて感じたし、坊主頭もお似合い。

問題は、原作小説に「唐人並みに上手かった」と記されている空海の唐語。
染やん、中国語を猛勉強したようだが、これは、こちらにも記しているように、声優・楊天翔(ヤン・ティエンシアン)に吹き替えられている。
「染谷将太、全編中国語の台詞に挑戦!」を売りにできなくなった事が、角川&東宝に、日本語吹き替え版のみで上映というマサカの決断をさせた一因ではないかと、私は推測。(
私自身、本来は、“俳優自身の声が聞きたい派”なのだけれど、楊天翔は、キャリア5年ほどの若手でありながら、腕はすでに一流。
空海の声を担当するにあたり、日本人が喋る中国語の発音や、『寄生獣』で染谷将太本人の特徴を、とことん研究し尽くしたというだけあり、今回の彼の吹き替えは、“中国語が超上手い日本人”にしか思えない。
そして、なにより重要なのは、染谷将太をよく知る日本人の私が聞いても、違和感の無い吹き替えであること。
染やんの猛勉強だって全然無駄ではなく、お陰で、口の動きがちゃんと合っている。

陳凱歌監督自身は、『PROMISE 無極』(2005年)で、真田広之と張東健(チャン・ドンゴン)に自らアフレコをさせたことを酷く悔やんでいるようなので、今回、染谷将太の声は、最初から中国人声優に吹き替えをさせるつもりだったと推測。
 

私のお目当ては、もう一人の主演俳優、白樂天役の黃軒。
黃軒は、元々踊りをやっていたアクティヴな人だが、同時に、日本への留学経験もある“民主闘士”で、優れた詩作も遺している黃文中(1890-1945)の曾孫で…
 
空海

黃軒自身、書道を嗜む、知性や文芸の香りを漂わす人である。
なので、白樂天役での起用を知った時、これは適役!と期待が膨らんだ。

そんな黃軒が演じる白樂天は、我々が勝手に想像する“唐代の詩人”のイメージとは、少々異なる。
陳凱歌監督が、この白樂天を“知識人ではあるが、子供っぽく、すぐカッとなり易い”と性格づけた通り、静の空海に対し、動の人で、感情をストレートに表に出すタイプ。
勿論、ちゃんと詩作もしており、楊貴妃の謎を追う物語が、かの<長恨歌>の制作秘話になっている点は、原作小説に近い。

私が許せないのは、この『空海』が、黃軒主演作の中で、日本で初めて公開される超大作であり、本作品で彼の事を知る日本人も多いはずなのに、簡単な中国語も解らない角川&東宝が、無責任にも、“ホアン・シュアン”の誤表記で宣伝した事である。
とても良い俳優で、これから日本でもまだまだ有名になる可能性を秘めているので、『空海』で黃軒を良いなぁ~と思った方は、ちゃんと“ホアン・シュエン”と呼んであげて下さいねー!

そんな黃軒についての、さらなる情報は、こちらの“大陸男前名鑑:黃軒”を参考に。



他の主要キャストもチェック。まずは、(↓)こちら。

空海

妖猫に狙われる金吾衛・陳雲樵に秦昊(チン・ハオ)
陳雲樵の妻で、妖猫に憑依される春琴に張雨綺(キティ・チャン)
時代が遡り、唐朝第9代皇帝・玄宗(685-762)に張魯一(チャン・ルーイー)
玄宗に寵愛される楊貴妃こと楊玉環に張榕容(チャン・ロンロン)
倭国からの遣唐使でありながら、唐の朝廷で重用され、高官に登り詰めた晁衡こと阿倍仲麻呂に阿部寛


張雨綺は、本作品での春琴役が評価され、第12回亞洲電影大獎(アジア・フィルム・アワード)で、最佳女配角(最優秀助演女優賞)を受賞。
元々猫目が印象的な猫顔で、名前も“キティちゃん”だけに、妖猫が憑依するこの役に抜擢されたのだろうか。
 
空海

春琴に乗り移った妖猫が、擬態で春琴の髷に成り切り、どこまでが黒髮でどこからが黒猫なのか見分けがつかず、気味悪かった(笑)。


同じ女性の“張”さんでも、おフランスの血を引く張榕容の方は、この世代の台湾人では珍しく、テレビドラマより映画に重きを置いて活動してきた女優さん。でも、それらは全て現代劇で、実は時代劇は今回がお初。これまで時代劇からお呼びが掛からなかったのは、一見して西洋との混血と判る顔が一因だと思う。
2017年秋、第42回トロント国際映画祭に陳凱歌監督が出席した際にも、なぜハーフを起用したのかという質問が出ていた。
その問いに対し、陳凱歌監督は「一説には楊貴妃は混血(胡人血統)。当時、唐で混血は珍しくなかった。皇家でさえ、鮮卑の血が入っていた。唐の繁栄は、異文化に寛容だったことが大きい」と答えている。

大陸での知名度が低く、観衆との間に距離があるのがまた良いと考えた大物監督からのお声掛けで、初の時代劇という大きなチャンスを与えられた張榕容は、所作や喋り方など、様々な努力を積んだよう。
大陸史劇に台湾人が出演する際は、台湾訛りの問題で、声優に声を吹き替えられる場合が多く、今回も当初はその予定だったが、陳凱歌監督が、候補の声優たちに納得できず、結局、張榕容本人が、一語一句発音を矯正されながら、自らアフレコ作業を行うことになったそう。そんな訳で、本作品の楊貴妃の声は、張榕容自身の声です。

ちなみに、国際映画祭に出品する場合、吹き替えだと、その俳優が賞の対象から外されると聞いたことがある。だから、『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)で、張國榮(レスリー・チャン)の声が吹き替えられている事実も、ずっと伏せられてきた、…と。


日本人注目の阿部寛は、“あべ”繋がりで、阿倍仲麻呂役で登場。
日本語では、阿部寛の“阿部”も、阿倍仲麻呂の“阿倍”も、同じ“あべ”という発音であるが、中国語では、前者が“Abù アブー”、後者が“Abèi アベイ”と異なるのに、映画の中で、“アベイ”ではなく、阿部寛の“アブー”で呼ばれているのが、どうしてなのだか気になった。



さらに、(↓)こちらのキャストも重要。
 
空海

幻術で西瓜を売る丹翁に成泰燊(チェン・タイシェン)
仲の良い二人の青年、白龍に劉昊然(リウ・ハオラン)と、丹龍に歐豪(オウ・ハオ)
丹龍の父で、白龍の師匠である黃鶴に劉佩琦(リウ・ペイチー)


この4人は、原作小説からキャラ設定が変えられている。
原作では、白龍も丹龍も、同様に黃鶴の弟子で、後年、年を取った丹龍が実は丹翁。
“白龍=妖猫”という設定も、丹翁が青龍寺の惠果大師だったという設定も、映画のアレンジ。


この中で特に注目すべきは、ノリに乗っている劉昊然。中央戲劇學院在学中、若干ハタチの新星。
『空海』以外にも、大ヒットドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)麒麟の才子、風雲起こす』の続編、『琅琊榜<弐>風雲来る長林軍~琅琊榜之風起長林』の主人公に大抜擢されているし、王寶強(ワン・バオチャン)とコンビを組んだコメディ映画『僕はチャイナタウンの名探偵』(2015年)もヒットし、その続編には妻夫木聡も出ているので、今後、日本でも目にする機会が増えそう。
そんな劉昊然クン、この『空海』では、役作りのために10キロも減量したのだと。そんなに痩せる必要があったのか、私には分からない。白龍の少年っぽさを出すため…?


黃鶴役の劉佩琦は、陳凱歌監督作品2度目。

空海

『北京ヴァイオリン』(2002年)で、息子の才能を信じ、田舎から出てくるオジちゃん劉成を演じております。
 





原作小説からのアレンジは多々あれど、映画を観終わった時、あの小説の読後感に似た感覚を味わった。文字で追った摩訶不思議な伝奇小説の世界を、そのまま映像に再現し、観せられたような感覚…。
物語前半、空海が白樂天に連れられ、初めて胡玉樓へ遊びに行き、そこで玉蓮の身体に入り込んだ蠱毒を、術を使って取り出してあげるシーンでは、私が小説を読みながらイメージしていたより、虫の数が遥かに大量だったので、のけぞったが(苦笑)。

日本の多くの観衆が抱いた“猫が主役の猫映画”という印象は、私には、まったく無かった。
奇抜なファンタジーではあるが、要所要所で史実を押さえているのが、私好みで、空海と同じ時代に白樂天がいて、玄宗と楊貴妃の傍には、阿倍仲麻呂や李白…、と想像すると、唐代って凄いわぁ~とロマンを掻き立てられる。ピカソがコクトーやサティと交流していたこと以上に、興奮モノ。

大スクリーンで観るべき映画。そして、オリジナルの中国語版で観るべき映画。
それでこそ、唐代の長安に迷い込んだような錯覚を体感できる。
これを、日本語に吹き替え、日本の音楽まで挿し込み、“日本映画”として世に出そうとした角川&東宝の厚かましさには、呆れる。
一連のプロモーションを見ていても、合作の相手国に対する敬意が微塵も感じられず、不愉快であった。
角川歴彦の目論見は、中国のお金と人材を利用しての日本映画の復興なのではないかと疑う。角川サン、あなた様にまだプライドがあるならば、見苦しい行いは控え、“日本映画”は自腹で撮りましょう。


最後に、お猫サマ好きな方々のために、(↓)こちらを。
 
空海

可愛いですね。

映画『ミッション:アンダーカバー』

ミッションアンダーカバー

【2017年/中国/122min.】
組織の若者たちそれぞれに、ヤクの運搬を割り当てる彬哥。
ルート5号線を任された林凱は、車に荷を積み、真夜中、目的地に向け出発するが、不運にも、山道で公安の検問に遭遇。
その場を強引に突破し、追って来るパトカーを振り切り、車ごと崖下へ飛び込み、なんとか急場を凌ぐ。

このゴタゴタを知った組織のボス程毅が、彬哥を𠮟りつける。
「寄りによって、あのルートに、なんで機敏な林凱を手配したんだ…?!」
程毅は、雲來公安局の副局長・汪波に、一定の検挙と押収物の上納をする代わりに、“商売”に目を瞑ってもらう取り引きを交わしていたのだ。

何も知らず、検挙されるべく生け贄として送られた林凱も、実のところ、大きな秘密を抱えていた。
林凱は偽名で、本名は劉浩軍。
麻薬密造工場の実態を探るため、この組織に送り込まれた潜入捜査官なのだ。
今ではすっかり信頼され、程毅の右腕となった林凱は、ある日、雙鷹(ダブルホーク)との大きな取り引きに同行するが、そこに公安が乱入。
混乱する現場から雙鷹の幹部・羅東方を助け出し、“黄金の三角地帯”奥地にある雙鷹のアジトへ踏み込む林凱。
そこに居たのは、雙鷹を陰で取り仕切る“老鷹”と呼ばれる男であった…。


本作品は、麥兆輝(アラン・マック)潘耀明(アンソニー・パン)の共同監督作品で、脚本を手掛けたのは、莊文強(フェリックス・チョン)

監督・麥兆輝×脚本・莊文強と言えば、そう、『インファナル・アフェア』(2002年)のコンビ。
潘耀明は、以前からそんな二人とお仕事をしていた香港出身のカメラマンで、本作品で監督デビュー。


原題は『非凡任務~Extraordianry Misson』。
東京・中国映画週間2017では、『潜入捜査』の邦題で上映された本作品が、数ヶ月後、『ミッション:アンダーカバー』と名を変え、未体験ゾーンの映画たち2018に。
私は、中国映画週間で観逃したので、鑑賞のチャンスが再び訪れてくれて、有り難い。





本作品は、上官・李建國の命で、身分を変え、潜入捜査官になった林凱が、ゴールデントライアングル奥地にアジトを構える謎の一大麻薬組織・雙鷹(ダブルホーク)に潜り込み、ボスの老鷹からの信頼を得ていくが、実はこの老鷹が、十年前、同じく潜入捜査官として雙鷹に入り込んだ李建國に強い怨みを抱き、李建國の同僚・張海濤を人質にとり、復讐の時を狙っていたため、新旧潜入捜査官と老鷹による三つ巴の死闘に発展していく様をスリリングに描く犯罪アクション映画


この映画、序盤は、まるで“大陸版『インファナル・アフェア』”
本当は真面目な刑事なのに、ヤクザ者に成りすまし、麻薬組織に潜入する林凱に梁朝偉(トニー・レオン)、林凱を潜入捜査官に任命した上司・李建國に黃秋生(アンソニー・ウォン)と、最初の内は、どうしても『インファナル・アフェア』を重ねてしまい、目新しさが感じられず。

しかし、後半になって、新展開。
なんと上司の李建國もまた元潜入捜査官で、現在、林凱が潜入している雙鷹に、十年前に潜入し、その組織を撲滅したつもりでいたことが判明。
残念な事に、その時せっかく捕えた雙鷹のボス老鷹は、移送中の爆撃で死亡。…のハズだった。
ところが、なんと、老鷹は、人知れず生き長らえていたのです…!
しかも、積年の恨みで、さらに極悪化。
この老鷹は、当時、潜入捜査官とは思いも寄らず、信頼していた李建國に裏切られ、騒動の中、妊娠していた妻・玉楠まで亡くしたことで、李建國に復讐するチャンスをずっと狙っていたのだ。


金三角(黄金の三角地帯/ゴールデン・トライアングル)を舞台にした薬物絡みの作品ということで、
同じ香港の監督・林超賢(ダンテ・ラム)による『オペレーション・メコン』(2016年)もダブルのだが、本作品は、中国の公安による麻薬組織撲滅の闘い以上に、十年越しの再対決復讐劇といった、“組織”より“個”の想いに比重が置かれているようにも感じられる。


念の為補足しておくと、“金三角(黄金の三角地帯 Golden Triangle)”とは、タイ、ミャンマー、ラオスの3ヶ国がメコン川流域で接する山岳地帯で、不名誉な事に、世界最大の麻薬密造地帯として名を馳せ、“魔の三角地帯”とも呼ばれる。

その金三角に通じる中国側の玄関口が、雲南省
シルクロードならぬ“麻薬ロード”とも呼べる交易ルートが形成され、薬物がどんどん入って来るのか、雲南省の薬物問題は深刻なようだ。
本作品の舞台は、まんま雲南ではなく、“雲來”という架空の都市。
そこの地元公安局が黒社会と癒着する腐敗っぷりも描かれている。





3人の主要登場人物を演じているのは…

ミッションアンダーカバー

“林凱”と名を変え、麻薬組織に潜り込む潜入捜査官・劉浩軍に黃軒(ホアン・シュエン/ホアン・シュアン
劉浩軍の上司で、自らも“華生”の名で潜入捜査をしていた李建國に祖峰(ズー・フォン)
一大麻薬組織・雙鷹を裏で取り仕切る老鷹に段奕宏(ドアン・イーホン)


私が、本作品で一番評価したいのは、私好みのこの3人をメインにキャスティングしたこと。
主要キャストが、もしお馴染みの香港明星だったら、本作品は、ステレオタイプの香港犯罪アクション映画に成り下がっていたかも知れない。
じゃぁ、大陸の俳優だったら、誰でも良かったのかと言うと、それも違う。
アクション娯楽作には不似合いとも思える、文芸作品のニオイがするこの3人を、敢えて起用しているのが、ミソ。

中でも、一番若い黃軒は、文学青年の雰囲気があるので、筋肉つけて、タトゥを入れたヤクの売人役に抜擢されたのを、ちょっと意外に思っていた。
そうしたら、後に、根っからのチンピラではなく、実は身分を偽装した潜入捜査官であることが判明。
その時ようやく黃軒がキャスティングされた理由が分かった気がした。

ミッションアンダーカバー
“林凱”と名を変えた売人より、警官・劉浩軍の方が、本来の黃軒のイメージに近い。

恐らく黃軒本人は、文学青年ちっくなイメージに囚われず、色んな役に挑戦したいのでしょうねぇ~。
本格的なアクションも、本作品で初体験。
元々踊りをやっていた人で、身軽なので、アクションも上手い。

そんな黃軒を“ホアン・シュアン”の名で紹介した配給会社にだけは、文句を言いたい。
今のところ、日本に入って来ている黃軒出演作で一番の大作が『空海 KU-KAI』なので、その『空海』に絡め、宣伝したいという気持ちは察するが、角川&東宝が使った誤表記を、そうやってズルズルと使い続け、定着させていくのは、本当にやめて欲しい。


祖峰扮する李建國は、林凱の正体を知る彼の上司。
祖峰は、同じ警察役でも、『二重生活』(2012年)で演じた庶民派刑事とは違い、今回は、スーツを着て、白髪交じりの髮に、眼鏡をかけた知的な中年男性で、モロ私好み。
ドラマ『歡樂頌~Ode to Joy』で演じたセレブ魏渭から、ネチッこさを抜いた感じで、素敵。

…ただ、出番が少ない。林凱に接触するために、チラチラ出てくる程度で物足りない。
…と嘆いていたら、この李建國も、実は十年前、“華生”の名で雙鷹に潜り込んでいた元潜入捜査官だったと、意外な過去が明かされて以降、物語は、老鷹との宿命の対決に展開していき、存在感が俄然増してゆく。


段奕宏は、第30回東京国際映画祭に『迫り来る嵐』(2017年)が出品され、主演男優賞を獲得したので、日本の映画ファンの間では、今では、祖峰より知られた大陸中年俳優かも知れない。
本作品では、一番の悪役。
片耳がケロイド状態で潰れていて、見るからにクセ者。
カンカン帽を被った姿を見ると、葛優(グォ・ヨウ)が演じそうな役にも思えた。

腹の中が読みにくい冷酷で凶悪な男なのだけれど、十年前の回想シーンを見ると、彼に対する想いが変わる。
十年前もすでに犯罪者で充分悪人だったのだが、当時はまだ人間味が滲み出ていて、現在とは別人の顔を覗かせている。
信じていた華生の裏切りや、妻・玉楠の死が、老鷹から人の心を奪ってしまったのだ。
ほんのちょっとの回想シーンで、老鷹が背負ってきた物を表現できるなんて、やはり上手いです、段奕宏。


数少ない女性キャストでは、郎月婷(ラン・ユエティン)が…

ミッションアンダーカバー
苗字みたいな名前がやたら記憶に残る“清水”という老鷹の養女役で出演。

郎月婷は、元々ピアノをやっていた人で、杜琪峯(ジョニー・トー)監督に見出され、映像の世界に入った女優さん。
そういう背景もあり、これまで、清楚で上品なイメージが強かったが、『相愛相親(そうあいそうしん)』(2017年)でちょっとだけ違う一面を見せ、本作品では、さらに、マシンガンを抱えたワイルドさとは裏腹に、“籠の中の鳥”になっている女性を、無表情に演じ、役の幅を広げている。
数少ない女性登場人物だからといって、誰かと恋愛に発展するお話ではなかったのが、よろしい。
本作品には、恋愛要素不要。


あと、李建國の上司役で、丁勇岱(ディン・ヨンダイ)がチラッと出ていた…!
丁勇岱って誰ヨ?!って方、

琅琊榜:梁帝(丁勇岱)
日本の映画館で梁帝に謁見できるとは思わなかった。





先ほどから幾度となく名が出ている『インファナル・アフェア』と『オペレーション・メコン』を足して2で割ったような作品。
なんとなく既視感があるように感じる作品を、黃軒×祖峰×段奕宏という意外なキャスティングで新鮮に見せている。
特別アクション映画に興味の無い私にとっての見所は、やはりこの3人の競演であった。
アクションシーンでは、林凱が、タイの商店街(?)の屋根を、バイクで爆走するシーンにハラハラ。(屋根に使われている素材が脆そうで、壊れて、落下するのではないかと。)

邦題をコロコロ変えるのは、如何なものか。
中国映画週間で上映された際、『潜入捜査』の邦題で多くの人が記憶したのに、変えられてしまって、分かりにくい。
しかも、わざわざ新たに付けたのが、一昔前の香港映画を彷彿させるダサい片仮名邦題…。
近年、映画ファンの多くは、日本上陸前から、ネットなどで、現地情報をチェックしているから、原題と掛け離れてしまうのも、問題である。
本作品だって、インパクト勝負なら、原題のまま『非凡任務(ひぼん・にんむ)』でしょ。
実際、非凡な任務のお話だし。

新たな邦題が、ダサい香港映画風だったため、字幕も、香港映画を得意とする配給会社が固執し続ける“カタカナ人名”かと思いきや、こちらは、“漢字+ルビ”で、非常に分かり易かった。
マクザム、good job。

華人の名前を、“チャン”だの、“チェン”だの、“ション”だのと、片仮名にされてしまうと、混乱し、人物関係や物語が掴みにくくなってしまうので、今後、他の作品でも、人名の漢字表記をスタンダード化する方向に進んで欲しい。
あと、“黃軒(ホアン・シュエン)”を“ホアン・シュアン”は、絶対にアウトだから…!

この映画、未体験ソーンの映画たち2018で、あと3回の上映あり(但し、夜の上映のみ)。
興味のある方は、その機会を逃さぬよう。


“ホアン・シュアン”ではない“黃軒(ホアン・シュエン)”については、こちらの“大陸男前名鑑:黃軒”を。

初見『空海~妖猫伝』取り敢えずの備忘録

配給会社の角川&東宝が、“空海押し”のプロモーションを展開した上、“日本語吹き替え版のみ”という前代未聞の公開に踏み切り、多くの批判を浴びた陳凱歌(チェン・カイコー)監督による日中合作映画『空海 KU-KAI』。

この二社が、自分たちの失敗を公に認めることは、この先も無いだろうが、幸か不幸か、誰の目にも明らかな惨敗に喫したため、あの悪夢の公開日からひと月遅れの2018年3月24日(土曜)、言い訳がましく“インターナショナル版”などという名目で、オリジナル中国語+日本語字幕版を公開。
(日本語に吹き替え、日本の歌まで捻じ込み、日本風に作り替えた日本語吹き替え版の方を、私は、敢えて“ドメスティック版”と呼ばせていただきます。)


それら経緯は、以下にリンク。


この“仕切り直し公開”にあたり、初公開の時ほど大規模な物ではないけれど、前日の夕刊に改めて広告を掲載。

空海

「全ての映画ファンに捧ぐ。」
“空海押し”で簡単に騙されてくれる高齢者に捧げ、観客動員数を稼いできた角川&東宝も、遅ればせながら、“映画ファンを軽視していた”という事実に気付いたのでしょうか。
空海役の染谷将太ばかりを目立たせるヴィジュアルも、今回は控えている。


とにかく、私には、“妥協で日本語吹き替え版を観る”という選択肢が無かったので、お陰で、この度、ようやくオリジナル版を劇場のスクリーンで観ることができた。
(いつまで上映されてるか分からないので、公開初日の本日、いち早く鑑賞。)
作品に関する詳細は、後日ゆっくりたっぷり記すとして、ここでは、本日の鑑賞で気付いた事などを、備忘録程度にざっと記しておく。


★  初見『空海』取り敢えずの備忘録

空海


◆作品の冒頭は、勿論、これ。

空海

検閲を通ったことを示す“電影片公映許可證”。
中国映画ファンにはお馴染みの、グリーン背景に龍のお印。
…ところが、バックに流れているのは、あのお馴染みの「パッパーン!パッパパッパ―ン!」じゃなく、RADWIMPSの英語曲で、ン、あらっ…?


◆続いて、アニメーションを使い、日本語ナレーションで、簡単に背景の説明。
オリジナル版には無く、日本で独自に付けた物と推測。
この手法を初めて使ったのは、『レッドクリフ』(2008年)ではないだろうか。中国史に暗い日本人も多いし、こういう説明映像は、良いと思う。


◆短い説明の後にドーンと出てきたのが、『空海 KU-KAI~美しき王妃の謎』のタイトル。
それまで耳にしていたのは日本語とRADWIMPSの歌だけだったし、おまけに、こんなタイトルまで出てきちゃったから、「えっ、もしかして、私、日本語吹き替え版の上映に来ちゃった?!」と不安MAX…!
そうしたら原題『妖猫传』の文字が現れ、以降、物語に入ると、ちゃんと中国語が使われていたので、ホッ…!


◆慌てて付けた日本語字幕は、クオリティが懸念されるが、“名訳”と称えないまでも、酷い訳ではない。
例えば、中国語版予告編に付いていた日本語字幕では、「你的意思是說皇帝的死跟一隻貓有關。(皇帝の死が一匹の猫に関係していると言うのか?)」という台詞が、「王妃の死と猫に関係が…」という字幕で、死んだ人物が変えられているというトンデモ誤訳もあったが、今回は、そのような誤訳はない。(少なくとも、私は気にならなかった。)


◆そもそも、この物語には、“王妃”など出てこない。
出てくるのは、“貴妃”の位についている“楊”姓の女性、通称“楊貴妃”である。
日本語吹き替え版のトレーラーを観ると、台詞の中に何度も“王妃”という言葉が使われているけれど、字幕版では、一度たりとも“王妃”は使われておらず、“貴妃”が使われている。楊貴妃を呼ぶ際に使われる“娘娘(ニャンニャン/じょうじょう)”も、“貴妃様”と訳されている。


◆でも、そうなると、中国語がまったく解らなくても、ちょっと敏感な人なら、じゃぁ、なんでタイトルが『美しき王妃の謎』なの?と疑問に思うであろう。
まったくその通りで、間違いに気付くことなく、作品に一生付きまとうタイトルにまで“王妃”を使ってしまった配給会社は、愚かとしか言いようがない。


◆台詞の中には、“蠱毒”、“起居郎”、“尸解の法”といった難解な単語が多々あり。
こういうの、日本語吹き替え版で、“こどく”、“ききょろう”、“しかいのほう”と聞いて、皆さん、判ったの?!
加えて、中国人の名前、都市名、官位等々、日本人には馴染みの無い単語が沢山出てくるのだから、目で得られる情報は有益である。


◆空海を演じる染谷将太の声を担当した声優・楊天翔(ヤン・ティエンシアン)は、やはり巧い。
中国語が超上手い日本人が喋っているようにしか聞こえない。
何より重要なのは、染やんを知る日本人の私が聞いても、染やん本人の声に思えること。


◆染谷将太+松坂慶子とか、染谷将太+火野正平といった日本人同士の会話は、当然中国語に吹き替えられておらず、日本語のままである。


◆阿部寛が演じているのは阿倍仲麻呂であるが、疑問が一つ。
日本語では、阿部寛の“阿部”も、阿倍仲麻呂の“阿倍”も、同じ“あべ”という発音であるが、中国語では、前者が“Abù アブー”、後者が“Abèi アベイ”と異なる。
…ハズなのだけれどぉ、映画の中では、阿倍仲麻呂が、阿部寛の“アブー”で呼ばれているの。日本語字幕も、“阿倍”ではなく、“阿部”になっていた。
字幕の誤りは、中国語の資料をそのまま写してしまったからであろう。時間が有れば、間違いに気付き、訂正されただろうが、なにせ慌てて作った字幕だろうから…。
そもそも中国側が、阿倍仲麻呂を“アブー”にしたのは、単純な間違いなのか、はたまた、阿部ちゃんが演じるから、意図的に阿部ちゃんの“アブー”にしたのだろうか…?


◆クロージングクレジットは、“衣装デザイン”など、日本人に分かり易い日本語で記されていることから、日本での上映用に、日本側で制作した物と推測。
でも、中国人出演者やスタッフなどの名前は、きちんと漢字で表記。
白楽天役の黃軒(ホアン・シュエン)が、“ホアン・シュアン”などと誤ったままクレジットされていたら、私は、あの場で、絶対に暴れていた。
最後のクレジットこそ正しい漢字で記しているけれど、日本の大手である角川&東宝が、これから日本でまだまだ有名になるであろう黃軒を、無責任にも、“ホアン・シュアン”の誤表記で宣伝したことは、絶対に許せない。今からでも、詫びて、訂正しろ!と強く言いたい。


◆劇場で売られているパンフレットを見たら、プロデュサーの角川歴彦が「なお本作は、日本公開にあたり、日本の皆さまには、日本映画としてご覧いただけるよう、日本語吹き替え版を制作した」と書いていたから、呆れた。
“合作”とは言っても、割り勘ではなく、ほとんどのお金は中国側から出ているのでしょう?
しかも、出演者の大半が中国人の、中国を舞台にした、中国語作品である。
それを、“日本映画”って…。「・・・・・(絶句)。」
人の手柄を自分の手柄みたいに威張って話す厚かましいオジさんは、世の中に結構いるが、角川歴彦ほどの有名人が、それを公に文字に残すのは、本当にみっともないから、自重すべきであった。そもそも、そのみっともない思い込みが、今回の日本公開の失敗に繋がったのです。


◆もう一回観に行きたいけれど、字幕版の公開規模が小さく、上映回数も少ないので、どうなることか…。
今回、私が行ったTOHOシネマズ新宿も、朝と夜の2回のみで、しかも小さなスクリーン。私は、前売り券を持っていたため、早めのネット予約ができず、希望の席が確保できなかった…。
それに、上映期間はいつまでなのでしょう…??






皆さまは、字幕版『空海』を、もう御覧になりましたか?
中国の歴史ファンタジーが好きで、なおかつ夢枕獏の原作小説を読んでいる人なら、その内の7割は楽しめる作品だと思う(私自身が、その7割に含まれている)。
作品の詳細は、また後日。



【追記:2018年3月30日(金曜)】
映画『空海 KU-KAI~美しき王妃の謎』について、ブログを更新。こちらから。

映画『妻の愛、娘の時』

妻の愛娘の時

【2017年/中国・台湾/120min.】

鄭州の街で教師として働く慧英の母が息を引き取る。
「きっと母は先に逝った父と一緒に眠りたい…」
そう考えた慧英は、父の墓を街へ移し、母と共に埋葬しようと思い付き、早速、父の故郷である片田舎へ。

しかし、そこで思いも寄らなかった障害に遭遇。
その昔、父が故郷で娶った最初の妻が、父の墓を守っていたのだ…。


原題『相愛相親~Love education』
邦題は、“そうあいそうしん”と読む。


第18回東京フィルメックスのオープニングで上映された張艾嘉(シルヴィア・チャン)の最新監督&主演作。
脚本は游曉穎(ヨウ・シャオイン)と共に手掛けたオリジナル。
(Yahoo!ブログの不具合で長文投稿不可につき、書き換えの必要があり、長らく放置してしまった…。)


張艾嘉監督が初めて大陸を舞台に、大陸俳優陣をメインにキャスティングして撮った意欲作。

2017年、第54回金馬獎では、7部門にノミネート。(結果は無冠。)
つい先日発表された第12回亞洲電影大獎(アジア・フィルムアワード)では、張艾嘉が最佳女主角(最優秀主演女優賞)を受賞。

間も無く、2018年4月半ばに発表される第37回香港電影金像獎では、9部門もにノミネート。
これは、『明月幾時有~Our Time Will Come』の11部門に次ぐ多さ。

フィルメックスでの上映は、金馬獎の発表前で、話題作なので、楽しみにしていた。
その上映にあたっては、張艾嘉監督が来日し、Q&Aも実施。






物語は、お墓を移設しようとしたことで勃発した家族の問題を軸に、3世代の女性それぞれの愛と生き様を描く人間ドラマ


お墓の問題というのは、主人公 慧英の母親が亡くなったことに端を発する。
曾淑慧は、死後の処理について、何も言い残さないまま他界。
娘の慧英は、「母は、先に亡くなった父と一緒に埋葬されたい」という思い込みから、父の故郷にある墓を街に移して、そこに母を入れようと思い付き、実行しようとするが、そこで予想だにしていなかった困難に直面する。


現代日本でも、お墓参りに不便な田舎から、自分の生活の場に近い都市部に親のお墓を移したいと考える人は多いはず。
この映画もそういう話だと思っていたら、主人公 慧英の両親には、それ以上の複雑な事情があった。


実は、主人公の父 岳子福は、その昔、親が決めた相手と、故郷の村で一度結婚。
結婚後間も無く、生活のため、一人村を出て、街へ行き、そこで慧英の母 淑慧と出逢い、家庭を持ち、以降ずっと街で暮らすが、死ぬと故郷の村へ戻され埋葬。
そのお墓は、“姥姥(おばあさん)”と呼ばれる最初の妻が守り、彼女は自分が死んだら、そこに一緒に入るつもりでいる。


姥姥が夫と暮らした期間はごくごく短く、夫が街へ発ってからは、顔すら見たことが無い。
それでも、まるで蝶々夫人のように、ひたすら待ち続け、何十年も経過し、夫は屍になって、ようやく故郷の村に戻って来たわけだ。

姥姥の名は、一族の系譜にも記されており、自分こそが正統な妻であると主張するが、法的な効力は無い。
昔は多くの国で、…特に封建的な田舎町では、現代人の目には、いい加減とも思える、そのような結婚が有ったのではないだろうか。


だからこそ、慧英は、自分の母 淑慧こそが、法的に認められた正統な妻で、何より両親は深く愛し合い、長年生活を共にしてきたのだから、一緒に埋葬されて当然だと主張。
それを姥姥に認めさせるには、法的証拠を突き付けるのが一番!
…なんだけれどー、そこで慧英は想定外の壁にブチ当たってしまうのだ。

結婚の登録証明書なんて、簡単に取れると思っていたら、「それはここではなく民生局へ行って下さい」、「いや、そういうのは公文書館へ」と、お役所をたらい回し。
しかも、以前有った場所から役所が消えてしまっていたり、「1978年以降の証明書しか置いていない」と言われてしまったり…。

前者は、急速な開発で街が様相を変えてしまったからで、後者は、1977年まで文化大革命が有ったからであろう。
いずれにしても、近代目まぐるしく変化した中国ならではの事情が垣間見える。





このようなお墓移設問題に絡め描かれるのが、3世代の女性の恋愛観や結婚観
広く“生き様”と言っても良いであろう。


それら3人を演じているのは…

妻の愛娘の時

村で夫 岳子福のお墓を守り続ける姥姥に吳彥姝(ウー・イェンシュー)
その岳子福と二番目の妻 曾淑慧の間の娘 岳慧英に張艾嘉(シルヴィア・チャン)
そして、岳慧英の娘 薇薇に郎月婷(ラン・ユエティン)


吳彥姝という女優さんは、初めて見た。
1938年生まれというから、80に手が届く大ベテランの国家一級演員である。

その割りには見たことが無いのは、Q&Aでの張艾嘉監督のお話によると、長年活動の中心は舞台で、近年、2本のコメディ映画に出たことで、広く知られるようになったかららしい。

2本の内の一本は、湯唯(タン・ウェイ)&吳秀波(ウー・ショウボー)主演作『北京遇上西雅圖之不二情書~Book of Love』(2016年)を指しているのであろう。

吳彥姝:北京遇上西雅圖之不二情書

日本未上陸のため、私は未見だが、現地では大ヒット。
吳彥姝は、その年、第53回金馬獎 最佳女配角(最優秀助演女優賞)にノミネートもされ、遅咲きのメジャー入りである。


吳彥姝:金馬獎2016

さすがは長年女優業をやっているだけあり、決める時はビシッと決め、凛とした美しさ。

ところが、これが『相愛相親』の中だと、普段のカッコイイ吳彥姝の面影はすっかり影を潜めている。
姥姥1929年湖南省生まれという設定なので、実際の吳彥姝より十近く上の90歳近いおばあさん。
封建的な村で、夫のお墓を守り続ける老女そのものに成り切っているから、ビックリである。

最初の内は、意固地になっている不愛想な老女という印象で、可愛げが無いとさえ思ったのだが、徐々に、彼女の一途な愛が感じられてきて、最後には、あの“合成ツーショット写真”のシーンで感動させられた。
封建的な時代や家父長制の犠牲者と言ってしまえば、それまでだけれど、ほんの短期間しか生活を共にしていない形ばかりの夫を何十年も愛し続ける彼女の純粋さには、心打たれる。


ちなみに、Q&Aで聞いた張艾嘉監督のお話によると、王麗媛(ワン・リーユエン)がかなり積極的に、この姥姥を演じたいとアプローチしてきたようだ。
王麗媛は、村の老女を演じるには洗練され過ぎているという理由で、採用されなかったが、代わりに、岳慧英の実母 曾淑慧の役を与えられている。

妻の愛娘の時

もっとも、物語の冒頭で、早々に死んじゃって、あとは“遺影出演”

王麗媛は、大陸ドラマを観ている人なら、一度や二度はきっと目にしている老女優。
(比較的最近の物だと、『武則天 The Empress~武媚娘傳奇』のアイパッチが怪しい彭婆婆とか、『女医明妃伝 雪の日の誓い~女醫·明妃傳』の主人公の祖母とか…。)


続いて、2番目の世代の女性、監督でもある張艾嘉が演じる岳慧英
私は、“ちょっと図々しいオバちゃん”を演じている時の張艾嘉が好きなのだが、本作品で演じている慧英にも、そういう部分があり、面白い。

そもそも、この慧英が、“母は父と一緒に埋葬されたがっていた”などという聞いてもいない話を、勝手に遺言に仕立て上げてしまったことで、お墓移設問題が勃発するのだ。
ろくな教育を受けていない姥姥と違い、学校の先生をしている慧英はシッカリ者。
人を雇って、お墓移設を強行しようとしたり、劇団員である生徒の父親に弁護士を演じさせ、姥姥を脅してみたり。

図々しいオバちゃんというのは見苦しいものだが、慧英の気持ちも理解できる。
“両親は良い夫婦であった”、“父にとって、母は唯一無二の女性であった”と信じたいのであろう。
慧英は定年を控えた教師なのだけれど、いくつになっても親にとっての娘であり、彼女にとって、親は親なのよ。


最も若い3世代目は、慧英の娘 薇薇
毎日生活頻道という放送局で、番組の制作に携わっている女性。
感情が先走る母親とは違い、徐々に姥姥と実の祖母と孫のような関係を築いていく。
私はそれを微笑ましく見ていたのだけれど、番組制作者である彼女にとって、お墓移設問題は、結局のところ、おいしいネタであり、身内を切り売りすることも厭わないのか?!という展開になっていったので、うーーーン…。
3人の女性の中で、一番共感しにくいのが彼女であった。

演じている郎月婷は、元々ピアノをやっていた人で、杜琪峯(ジョニー・トー)監督に見出され、映画の世界に入ったのは2013年と、比較的最近。
張艾嘉がオリジナル脚本を手掛け、その杜琪峯監督が映画化した『香港、華麗なるオフィス・ライフ』(2015年)に出演しているので、そういう御縁で、張艾嘉のこの新作にもお呼びが掛かったのだろうか。

ピアニストらしく、清潔感と品のある容姿。
ロングヘアの時は思わなかったが、この映画で髪を短くしていると、山口百恵のようにも見える。


他の出演者も見ておくと…

妻の愛娘の時

岳慧英の夫 尹孝平に田壯壯(ティエン・チュアンチュアン)
薇薇の恋人 阿達に宋寧峰(ソン・ニンフォン)
ご近所の奥様 王さんに劉若英(レネ・リウ)など。


この中で注目なのは、誰を差し置いても、慧英の夫 尹孝平を演じている著名な監督 田壯壯
張艾嘉は、『呉清源 極みの棋譜』(2006年)に出演したことで、田壯壯監督と知り合い、以降友人として交流を続け、監督の温かなお人柄が役に合うと感じ、出演のオファーをしたのだと。

張艾嘉の思惑は正解で、気の強い女房 岳慧英とは“割れ鍋に綴じ蓋”という感じの控えめな夫の役を、全身から滲み出る大らかさで表現。
味があって、とても良い。


薇薇の交際相手、阿達を演じている宋寧峰って誰かと思ったら、宋寧(ソン・ニン)よ。
最近、本名の“宋寧”から“宋寧峰”に改名したらしい。
女優さんでも、“宋寧”に一文字加えて“宋佳寧(ソン・ジアニン)”にしている人が居るし、やはり、二文字の名前だと同姓同名が多く、紛らわしいからかしら。

で、こちらの宋寧峰は、良く言えば雰囲気があり素朴、悪く言えば地味という印象だったので、腕にタトゥを入れたミュージシャン役は、ちょっと意外。
でも、張艾嘉監督は、宋寧峰をひと目見て、「彼こそ阿達!」と即決したらしい。
ただ、若い頃多少バンドの経験は有っても、ミュージシャン役なんて初めてだから、張艾嘉監督の期待は、本人にはかなりのプレッシャーだったみたい。

妻の愛娘の時

歌は、撮影3ヶ月前から練習。
作中、ほんの数十秒だけ使われるBeyondの<海闊天空>を歌うシーンのためには、広東語も頑張ったらしい。
そんな訳で、映画の中で、阿達がギターを弾いたり、歌っているシーンは、他人の吹き替えではなく、宋寧峰自身によるものとの事です。


劉若英は、99%大陸キャストのこの映画で、唯一張艾嘉監督と同郷の台湾人出演者。
張艾嘉監督作品に出演するのは、『一個好爸爸~Run, Papa, Run!』(2008年)以来、9年ぶりですって。

劉若英は、2011年に北京の実業家と結婚し、その後、2014年には高齢で出産して、どの監督作品と限らず、そもそもいかなる映画にも出ていない。
この『相愛相親』にも、“特別出演”程度の登場だが、張艾嘉監督との長年に渡る良好な関係が有るからこそ実現した久々の映画出演かもね。
(日本で2017年に公開された『星空』は、6年も前、2011年の出演作。)

演じている“王さん”は、ご近所に住む奥さんで、慧英の夫 尹孝平が教官として働く教習所の生徒。
慧英は、二人の“教官と生徒”以上の関係を疑い、ヤキモキすることに。


“特別出演”と言えば…

妻の愛娘の時

李雪健(リー・シュエチェン)王志文(ワン・チーウェン)といった名バイプレイヤーも、お役所の職員役でチラリと出ている。

李雪健は相変わらず林家木久扇師匠似。






裏方さんにも軽く触れておくと、撮影は台湾の李屏賓(リー・ピンビン)、美術は香港の文念中(マン・リムチャン)と、過去にも張艾嘉監督に参加している一流スタッフ。





主なロケ地は、河南省の鄭州と洛陽
都会パートの撮影が鄭州で、田舎パートが洛陽である。

妻の愛娘の時

地図で見ると、鄭州と洛陽は、河南省の中で隣り合った街。
但し、姥姥が暮らしてるのは、洛陽の中の新安縣倉頭鎮という村なので、鄭州からは距離があるように見受ける。


鄭州の街中のロケ地は、鄭州でそこそこ知られた場所が多いみたい。
例えば、岳慧英が勤務する“樹德高級中學”という設定の学校は、実際には鄭州九中、阿達のバンドが出

演するライヴハウスは、金水區にある不見不散 Be There or Be Squareというバー。 
尹孝平が妻 岳慧英のためにカードを買うのは、商業施設 丹尼斯大衛城の中の、その名もズバリ“我在書店(私は書店に居る)という書店で、雰囲気が良いなぁ~と気になったが、ここはすでに無くなっているそう。

Q&Aで張艾嘉監督が、「中国二級都市の変化のスピードは恐ろしいほど」と言っていたが、この本屋さんもその猛スピードの中、消えていったのでしょうか。
張艾嘉監督は、良くも悪くも激変する中国二級都市を描きたかったからこそ、その代表格である鄭州を映画の舞台に選んだのかも知れない。


また、Q&Aで張艾嘉監は“人生の中で人は移動する”という事も、この作品のテーマの一つだと語っている。
鄭州は、昔も今も、地理的に交通の要所であるため、そのようなテーマの作品には、相応しい舞台と言えそう。

妻の愛娘の時

地図上のピンクの線は、姥姥の移動
姥姥は、“女書(にょしょ)”が有名な湖南省の生まれで、結婚を機に洛陽へ移動。

ブルーの線は、阿達の移動
西安出身の阿達は、ミュージシャンとして一旗揚げようと北京を目指すが、その途中、薇薇と知り合ったため、鄭州に落ち着くが、再び夢を追って、北京へ去って行く。


張艾嘉監督自身、台湾生まれでありながら、山西省にルーツをもつ外省人で、若い内にアメリカで学び、香港を拠点に女優として成功し、現在の御主人も香港の人と、場所に囚われずに移動している人。






張艾嘉監督主演の“女性3世代モノ”というと、20代、30代、40代の女性を主人公にした『20、30、40の恋』(2004年)を思い出す。

あれから十年以上の歳月が過ぎ、張艾嘉自身も年を重ね、新たに発表した3世代モノは、一気に高齢化し、『30、60、90の恋』である(笑)。

私は、『20、30、40の恋』が結構好きなのだけれど、新たな3世代モノである『相愛相親』は、さらに楽しめた。
張艾嘉が、監督としてより成熟したことも大きいだろうし、人生経験がより豊富な年配の女性たちを扱うことで、物語もより深いものになっているのかも知れない。


日本にも色々有るお墓という厄介な問題を軸にした家族の物語になっているのも面白い。
日本の場合、「死んだ後まで夫と一緒に居たくない」、「夫の実家のお墓には入りたくない」という女性も多いと聞くので、一人の男性のお墓をあそこまで取り合う事は、必ずしも共感されないかも知れないが、個人差、世代差、お国柄の違いを比べるのも良いでしょう。


現代の鄭州を舞台にしているという点も、私には魅力の一つと感じられた。
そのような作品はあまり無いので。
(少なくとも、日本にはあまり入って来ていないはず。)


これも、一般劇場公開の運びになると良いですね。
取り敢えずは、4月半ば、香港電影金像獎で良い結果が出れば、日本公開への弾みになるかも…?


東京フィルメックス『相愛相親』上映終了後に行われた張艾嘉監督によるQ&Aについては以下にリンク。






追記:2018年5月

『相親相愛~Love education』が、『妻の愛、娘の時』と邦題を変え、2018年9月日本公開決定。
それに伴い、当ブログのこのエントリも、表題を『相親相愛(そうしんそうあい)』から正式な邦題に変更。

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