【2017年/スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク/151min.】
クリスティアン・J・ニールセンは、X-ロイヤル美術館を束ねるチーフ・キュレーター。
間近に控えているのは、アルゼンチンのアーティスト、ローラ・ライアスの作品<ザ・スクエア>を発表する展覧会。
地面に正方形を描いただけの<ザ・スクエア>は、「信頼と思いやりの聖域。その中では、誰もが平等に権利と義務を共有する」をコンセプトに、現代社会に潜む問題を提起するシンプルなインスタレーション作品。
この展覧会の準備に追われているある日、クリスティアンは、街中で、何者かに追われている女性を助けたつもりが、詐欺に遭い、財布と携帯電話、さらには形見のカフスボタンまでを盗まれてしまう。
幸い、携帯電話のGPS機能を使い、犯人が暮らす集合住宅を突き止める。
…が、何戸もある大きな建物の中から、どうすれば犯人の家を特定できるだろうか?
部下のミカエルが、妙案を思い付く。
建物全戸のポストに脅迫状を投函すれば良いと言うのだ。
この案に、当初は戸惑ったクリスティアンであったが、盗んだ物を駅近くのセブンイレブンに届けるよう指示する脅迫状を大量に用意し、夜を待ち、集合住宅へ出向き、一軒一軒にこっそり投函。
すると、早速、セブンイレブンに小包が届き、クリスティアンは無事盗品を取り戻すことに成功。
これで一件落着とホッとしたのも束の間、再びセブンイレブンから届け物の連絡が入る。
すでに盗品は戻ってきているのにナゼ…?!
新たな小包の中身は、投函された脅迫状のせいで、無実の罪を着せられた少年からの怒りのメッセージであった…。
間近に控えているのは、アルゼンチンのアーティスト、ローラ・ライアスの作品<ザ・スクエア>を発表する展覧会。
地面に正方形を描いただけの<ザ・スクエア>は、「信頼と思いやりの聖域。その中では、誰もが平等に権利と義務を共有する」をコンセプトに、現代社会に潜む問題を提起するシンプルなインスタレーション作品。
この展覧会の準備に追われているある日、クリスティアンは、街中で、何者かに追われている女性を助けたつもりが、詐欺に遭い、財布と携帯電話、さらには形見のカフスボタンまでを盗まれてしまう。
幸い、携帯電話のGPS機能を使い、犯人が暮らす集合住宅を突き止める。
…が、何戸もある大きな建物の中から、どうすれば犯人の家を特定できるだろうか?
部下のミカエルが、妙案を思い付く。
建物全戸のポストに脅迫状を投函すれば良いと言うのだ。
この案に、当初は戸惑ったクリスティアンであったが、盗んだ物を駅近くのセブンイレブンに届けるよう指示する脅迫状を大量に用意し、夜を待ち、集合住宅へ出向き、一軒一軒にこっそり投函。
すると、早速、セブンイレブンに小包が届き、クリスティアンは無事盗品を取り戻すことに成功。
これで一件落着とホッとしたのも束の間、再びセブンイレブンから届け物の連絡が入る。
すでに盗品は戻ってきているのにナゼ…?!
新たな小包の中身は、投函された脅迫状のせいで、無実の罪を着せられた少年からの怒りのメッセージであった…。
今はちょうどカンヌ国際映画祭の季節。
スウェーデンのリューベン・オストルンド監督によるこの作品も、カンヌに所縁があり、昨2017年、第70回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞。
リューベン・オストルンド監督作品は、前作の『フレンチアルプスで起きたこと』(2014年)も未見。
そもそも、私は、スウェーデン映画が超久し振り。
イングマール・ベルイマンで私のスウェーデン映画体験は止まってしまっているのではないかと思うくらい最近遠ざかっているけれど、これは昨年カンヌで受賞した時から、気になっていた。
本作品は、現代美術館の名の知れたキュレーター、クリスティアンが、“信頼と思いやりの聖域”をテーマに、現代社会の蔓延る問題に一石を投じる企画を始動させるも、自分自身は、盗難事件をきっかけに、知らず知らずの内に、信頼や思いやりとは逆の方向へ動きだし、エゴを晒しながら空回りしていく様を描く人間悲喜劇。
タイトルにもなっているくらいだから、物語の主軸は、“信頼と思いやりの聖域”をテーマにした<ザ・スクエア>というアート作品にまつわるエピソード。
決して派手ではないこの作品を展示するにあたり、いかにプロモートし、世に問題を提起できるのか?また、いかに大衆からの注目を集められるのか?
美術館は、広告代理店に依頼し、Youtubeを使ってのプロモーションを展開することになるのだが、それが後々大問題を引き起こす。
そもそも英語の“Square”は、単純に四角い形を表すのみならず、“公平”、“正直”、“きちんとしている事”なども意味する。
主人公のクリスティンは、有名美術館でチーフ・キュレーターを務め、地位も知性もそこそこの経済力もある男性。
だから、自分のような人間は、世間から信頼されるに足る正直で公平性をもった紳士でなければならないと分かっている、…頭では。
ところが、その頭の中での理解が試される出来事がクリスティアンに降りかかる。
一つは、女性記者・アンとの出逢い。
クリスティアンは、インタヴュを受けたことでアンと知り合い、パーティーでの偶然の再会で、そのまま彼女の部屋へなだれ込み、一夜を共にしてしまう。
このお気軽な肉体交渉が、アンにクリスティアンに対する不信感を生み、責められる羽目に。
もう一つの出来事は、物語上さらに重要。
盗まれた財布と携帯電話を取り戻すため、犯人が暮らす集合住宅全戸に脅迫状を投函したことで、事件とはまったく関係の無い少年を傷付けてしまったのだ。
その集合住宅は、経済的に恵まれない移民などが多く暮らす場所。
そんな所をウロウロすることに抵抗があったのか、単純に後ろめたい事に手を染めたくなかったのか、クリスティアンは、黒人の部下・ミカエルに投函を頼むが、ミカエルに拒否されてしまったため、ミカエルのジャケットを借りて着て、自ら建物に入り、投函。
盗品は無事手元に戻るも、その後再びコンビニに、あの集合住宅からクリスティアン宛ての怪しげな小包が届くと、自分自身は警戒し、具体的な事情を説明しないまま、またまたミカエルをコンビニへ送り込む。
クリスティアンのような“立派な紳士”が抱くべきではない、格差や人種などへの偏見や差別意識が、どんなに覆い隠そうとしても、頭をもたげてしまう。
リューベン・オストルンド監督は、政治家が声高に叫んだり、メディアがセンセーショナルに報じることで、内容の良し悪しに関わらず、人々が食い付き、盛り上がってしまう昨今の風潮を危惧し、本作品を撮ろうと思ったという。
その点で、リューベン・オストルンド監督の思いをストレートに表現しているのは、最初に戻り、美術館が<ザ・スクエア>をプロモーションするYoutubeのエピソードであろう。
敢えて、スウェーデン人らしい金髪の可愛い少女をモデルに起用し、その子がスクエアの中でドッカーンと木っ端微塵に吹き飛ばされるという過激な動画は、あれよあれよと言う間に再生回数30万回を突破し、世間で物議を醸すこととなる。
道徳的に正しいかどうかは関係なく、目立ったもの勝ちの、いわゆる“炎上商法”である。
さらに、再生回数が激増したため、クリスティンには、Youtubeの運営会社から連絡が入り、広告の掲載を打診される。
リューベン・オストルンド監督は、注目を集めることがお金に結び付くという昨今の経済のシステムも問題視。
この一連のエピソードは、日本でも同様の現象が起きているので、我々にも分かり易い。
出演者は大半が初めて見る顔。
X-ロイヤル美術館のヘッド・キュレーター、クリスティアン・J・ニールセンにクレス・バング、クリスティアンの部下ミカエルにクリストファー・レス―、女性記者アンにエリザベス・モス、そして、美術館主催のパーティーで猿のパフォーマンスを行うオレグ・ロゴ―シンにテリー・ノタリー等々…。
主演のクレス・バングはデンマークの俳優ですって。
190を越える長身の色男で、もう少し若い頃のランベール・ウィルソンがちらりと重なった。
扮するクリスティアンも、洗練された身なりの素敵な中年男性だけに、彼が自分を正当化しようと繕えば繕うほど、そのザマがセコく見える(笑)。
その部下ミカエルを演じるクリストファー・レス―もデンマークの俳優。
(彼の姓“Læssø”は、他の皆さまに従い“レス―”と表記したが、私自身がデンマーク語の読み方を知らないので、本当にそれが正しいのか、確認のしようがない。)
同じ美術館で仕事をしている仲間でも、クリスティアンは、黒人のミカエルを、心のどこかでやはり見下しているのであろう。
黒い肌の彼は、低所得者層が暮らす場所に居ても馴染む人、いかにも事件を起こしそうな人に見えるから、集合団地での脅迫状投函を頼んだり、コンビニへ使いにやったりしたのだろう。
でも、ミカエルもミカエルよねぇー。
「投函なんて簡単。僕がやって上げるよ」と確かに自分から仕事を買って出たのに、現地に到着した途端、そんな発言は無かったことにしちゃうんだもん。
あの変わり身には、私も意表を突かれたので、クリスティアンが唖然としたのも分かる。
女性記者のアンに扮するエリザベス・モスは、日本で一番知られた本作品のキャスト。
このアンもなんか不可解な女性であった。
パーティーで再会したアンの部屋へ流れ込み、一夜の肉体関係を楽しみ、それっきりというクリスティアンは、女性を性の対象としか見ていない卑劣な男という位置づけなのだろうか。
アンは、大して知りもしない男を部屋に入れ、同意の上で関係を持ったわけで、その後、クリスティアンの仕事場へ押しかけ、「私は好きでもない男と簡単に寝るような軽い女じゃない!アナタは私と何をしたか覚えているの?!」と彼を責めても、説得力が無く、いえ、いえ、アンさん、アナタ様にも問題が…と思ってしまった私は、日本人的なのか…?
そして、パーティーでお猿のパフォーマンスを披露するオレグ…!
ただのパフォーマンスのはずが、徐々に人々を恐怖に陥れていく様子を、結構な長さで見せる印象的なシーンである。
実際にはその場に居ない私まで、息を止め、固まってしまう程の迫真の演技と臨場感!
扮するテリー・ノタリーは、シルク・ド・ソレイユのパフォーマーとしてキャリアをスタートさせ、これまで『猿の惑星』など数多くの作品で、動物を演じてきた俳優らしい。
本作品のリューベン・オストルンド監督は、猿を真似られる俳優をグーグル検索し、このテリー・ノタリーを探し当てたのだとか。
私がこの作品の存在を初めて知った時の説明文では、<ザ・スクエア>というアート作品の四角い枠の中に立った人々の人間性が徐々に暴かれていく様子を描く作品、…という理解であった。
まさか四角い枠の中だけで、物語が展開するのか?究極のワンシチュエーション物…?!と疑問が沸々。
結局は、四角い枠の外で普通に話が進行していくのだけれど、観ないことには、まったく内容が掴めず、鑑賞中も先がなかなか読めない映画。
万人ウケする作品だとは思わない。
好き嫌いが分かれそう。私は、“好き”の側の人。
格差、差別、偏見、偽善、他人への無関心、また逆に、他人への過干渉といった現代社会に潜む問題が作中沢山散りばめられているが、だからと言って、監督が定義する善悪を観衆に押し付ける説教臭い社会派作品とも違う。
私自身、必ずしも全てに共感したわけではなく、腑に落ちない部分も有って、後味もスカッとせず、モヤモヤするし、繰り返し何度も観たいとは思わないけれど、それでも、不思議と鑑賞中は、作品世界に入り込み、2時間半という長さが、まったく気にならなかった。
北欧らしいクリーンでスタイリッシュな映像も良し。