House of Gucci

【2021年/アメリカ/159min.】

1978年、イタリア ミラノ。
パトリツィアは父親が経営する運送会社で働く明るく活発な若い女性。

ある日、男友達のマックスから誘われ、見知らぬ邸宅のホームパーティーへ。
お酒を注文すると、バーカウンターの中の青年は戸惑い顔。
実は彼もまたパーティーの来客。
バーテンダーに間違えられてもイヤな顔一つせず、“エリザベス・テイラー”のためにカクテルを作るという彼に名を尋ねると、「マウリツィオ、…マウリツィオ・グッチ」。
家業には興味がなく、今は法律の勉強をする学生だという。

後日、偶然を装い、待ち伏せしていたマウリツィオに接近するパトリツィア。
「私よ、エリザベス・テイラー。」

二人は打ち解け、みるみる内に恋仲に発展。
マウリツィオはすでにパトリツィアと一生を共にするつもりで、早速彼女を父ロドルフォに紹介。
ところが父は険しい顔で言う、「交際はいい、でも結婚は絶対に許さない。あの女は財産目当てだ。」

家を出て、パトリツィアの父親が経営する運送会社で働き始めたマウリツィオ。
二人の気持ちは益々燃え上がり、あっという間に結婚。
教会に父ロドルフォの姿はなかったが、グッチ家御曹司の式は新聞にも取り上げられ、晴れて夫婦に。

相変わらず運送会社で働きながら穏やかに新婚生活を送るマウリツィオに、「あなたはこんな所で埋もれていい人ではない」と諭すパトリツィア。
彼女はマウリツィオにグッチ家の家業に入るよう助言し…。


原題『House of Gucci』


珍しく公開を楽しみに待っていたアメリカ映画。
普段、ハリウッドのメジャーな作品は、観てもあまりブログに記録を残していないのだけれど、この映画は色んな意味で引っ掛かる部分があったので、久し振りに書いてみる。


当ブログからの盗用を見る度にイヤな気持ちになります。きちんとリンクをお願いいたします。)


監督+原作者

House of Gucci

Ridley Scott

本作品は、リドリー・スコット監督最新作。
リドリー・スコットは、今さら言うまでもなく、ハリウッドでも活躍のイギリス出身大物監督。
今、改めて調べたら、1937年生まれで、すでに84歳であった。


この新作は、2000年に発表されたサラ・ゲイ・フォーデンによるノンフィクション本<The House of Gucci: A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed>がベース。
欧米の書評に目を通すと、“一族のドラマ”というより、ファッションビジネスについて多くを割いている本のように感じるのだが、どうなのでしょう。
映画の日本公開に合わせ、日本でも2021年12月に、<ハウス・オブ・グッチ>のタイトルでハヤカワ文庫から出たようだ。


House of Gucci

Sara Gay Forden

元になったノンフィクション本を書いたサラ・ゲイ・フォーデンに関しての情報は少ない。
アメリカ人ジャーナリスト兼作家で、現在の活動拠点はワシントンDC。

1988年から2010年までの22年間ミラノに暮らし、主にファッションビジネスを取材し、<il Sole-24 Ore>、<International Herald Tribune>、<Dow Jones>、<Women's Wear Daily>、<Class Editori>、< Bloomberg>といった複数の新聞雑誌に関わっていたらしい。


物語

本作品は、イタリア トスカーナのグッチ家によるファッションブランドGUCCIが、内紛で揺れる中、まさかの殺人事件勃発で、遂に一族の手から離れていくまでを描く犯罪伝記映画


作品の大きな柱は二つ。

一つは同族企業のお家騒動
イタリアは家族経営の会社が多い。
多かれ少なかれゴタゴタがあるのは珍しくないと見受ける。
会社が大きければ大きいほど、関わる親族が多ければ多いほど面倒が増えるものである。

日本でも、記憶に新しいところでは、家具屋さんのお家騒動が話題になった。
でも、あの家具屋さんの映画を作ったところで、面白がって観るのは日本人だけであろう。
シャネルやイヴ・サン・ローランを主人公にしたフランス映画を観た時も、「日本だとせいぜいコシノ三姉妹の朝ドラ『カーネーション』くらい。あれが外国でウケるわけがない…。」とタメ息が漏れた。
さすがフランスやイタリアは、ファッションの分野で世界を惹き付ける“持ちネタ”が多いと感心。


もう一つは、華麗なる一族に嫁いだ女性パトリツィア・レッジアーニの夫マウリツィオ・グッチに対する愛憎劇

グッチ家の御曹司マウリツィオは、パーティーでパトリツィア・レッジアーニと出逢い、「あの女は財産目当て」という父ロドルフォ・グッチの反対を押し切り彼女と結婚。
二人は娘にも恵まれ、幸せに暮らすが、やがてマウリツィオの心は幼馴染みのパオラ・フランキに移り、離婚を切り出されたパトリツィアは、占い師ピーナ・アウリエンマの助けを借り、殺し屋を雇ってマウリツィオを殺害。

結婚生活を送る中で、夫婦関係に歪みが生じるなんて、よくある話。
さらに別の女性の出現し、離婚を迫られたら、「あんなに尽くしてあげたのに酷い裏切り!殺してやるーっ!」と許せなくなる女性も多いであろう。
でも、普通は、理性が殺意を制御するんですけれどね…。


マウリツィオ・グッチ暗殺事件

House of Gucci

映画のクライマックスであるマウリツィオ・グッチ暗殺事件は勿論事実。

1995年3月27日、朝8時30分頃、パートナーのパオラ・フランキ(1953-)と暮らすミラノのコルソ・ヴェネツィア38号にある自宅をいつものように出たマウリツィオ・グッチは、ヴィア・パレストロ 20号のオフィスに到着して早々、建物入り口の階段で、元妻パトリツィア・レッジアーニが手配したヒットマンの銃で、後方近距離から4発撃たれ死亡。


House of Gucci

ミラノをちょっとでも知っている人なら分かるように、事件発生現場は街の中心部に位置する閑静なエリア。
そんな場所で白昼堂々の銃殺とは、犯罪サスペンス映画以上に映画的。

実は、マウリツィオ・グッチの自宅もそのすぐ近く。

House of Gucci

Googleマップによると、自宅からオフィスまでは140メートル、徒歩2分の距離。
『ハウス・オブ・グッチ』では自転車通勤しているが、あれは映画の演出で、実際には徒歩で道を横断し、オフィスに着きすぐに殺されたらしい。


暗殺を企てたパトリツィア・レッジアーニが逮捕されたのは、それから約2年後の1997年1月
懲役29年を求刑されるが、最終的に減刑され、2016年10月、約18年のムショ暮らしを終え釈放、翌2017年には3年の保護観察も取り消され、完全に自由の身に。

House of Gucci

現在は、母親から相続したミラノ中心部の高級マンションで、お犬様&オウムと共に優雅に暮らしているという。


人物相関図

House of Gucci

イタリアは同じ名前の人が多いから混乱し易いが、映画『ハウス・オブ・グッチ』の主要登場人物は5人。
全員が実名で登場。


House of Gucci

中でもパトリツィア・レッジアーニとマウリツィオ・グッチの愛憎が作品の軸で、この二人が実質主人公と言えるだろう。


キャスト その①:名家の嫁

House of Gucci

レディー・ガガ:パトリツィア・レッジアーニ(1948-)

すでに俳優業でも成功しているレディー・ガガだが、私にとっては未だに音楽での印象の方が強い。
“レディー・ガガ主演!”に釣られて映画を観ることなどまずないのだけれど、初めて『ハウス・オブ・グッチ』のスチール写真を見た時、実際のパトリツィア・レッジアーニに似ていると思った。

彼女が扮するパトリツィア・レッジアーニは、男性たちの興味を引く華やかな女性なのだが、都会的で洗練された美女ではなく、クラス感に欠く“下町のマドンナ”という雰囲気がリアルで、最初の登場から目が釘付けに。

父親の職業は建前上“transportation business”だが、実質トラック野郎の親玉的存在という設定は、日本にも有りそうで親近感が湧くと同時に、中国のドラマ『家族の名において~以家人之名』を思い出した。
そのドラマに登場する見栄っ張りな女の子 唐燦がやはり、運転手の父親を“物流関係”、カルフールで働く母親を“グローバル企業勤務”だと同級生たちに話すのだ。

また、パトリツィア・レッジアーニが、グッチ家でクリムトの<アデーレ・ブロッホ バウアーの肖像>を見て「ピカソですよね」というシーンでは、『30女の思うこと 上海女子物語~三十而已』を重ねた。
そのドラマでは、成金のマダムが、自宅に飾っているモネの<睡蓮>をオークションで競り落としたゴッホだと自慢。
生活には直結しない名画に関する知識の有る無しを、その人の教養を計るバロメーターにするのは、世界共通の分かり易い表現なのかも知れない。


House of Gucci

Patrizia Reggiani(1948-)

実際のパトリツィア・レッジアーニは、極貧家庭で実父が誰だかも分からず育った女の子であったが、母のシルヴァーナ・バルビエ―リが運送業を営む男性と結婚し、彼女とも養子縁組。
“Reggiani”はその男性の姓。

この継父レッジアーニさんがリッチだったそうで、母子の生活は一変。
感受性豊かなお年頃にいきなり“贅沢”を知ったと共に、ごく近親の母親から“結婚で何ステージも上に行ける”ことを無意識下で学んだのかも知れませんね。

映画『ハウス・オブ・グッチ』では、リアルお嬢様とは違うからこそのしたたかさや野心家の一面も描かれてはいるけれど、大人気のレディー・ガガが演じるので、やはり救いようのない悪女にはなっていない。
正負は紙一重で、パトリツィアにはそれなりの事情があったと、彼女を一人の女性として肯定する描き方





まぁ、でも、どうなのでしょう。
インタヴュ映像などを通して知る実際のパトリツィア・レッジアーニは、メディアで引っ張り凧になるのが分かる面白いキャラではあるけれど、人としては何らかの問題があるようにも感じるのだが…。

本人及び関係者のインタヴュで構成されている2020年制作Discovery+のドキュメンタリー『Lady Gucci: The Story of Patrizia Reggiani』は、さわりだけ見ても面白い。
(Youtubeで公開されているのは予告編のような約3分×3本だけ。本編は1時間15分。)



動画に登場している白髪の女性が、占い師のピーナ・アウリエンマ

これを見ると、パトリツィア・レッジアーニは、夫マウリツィオ・グッチが、自分の元を離れ、かつては彼女の友人でもあったパオラ・フランキと一緒になったことは許し難く、同時に、娘を守らなければという気持ちが強く湧き上がってきた模様。
当時は行く先々、サラミ屋などでも「誰か私の夫を殺す勇気のある人はいないの?」と聞いて回っていたという。
(当然誰からも本気にされない。)
自分で手を下そうにも「私には一つ欠点があるの。(銃の)照準が定められないのよね。」→だからヒットマンを雇うしかなかったのだと。ひぃー…!




刑務所ではペットのフェレットと戯れたり、読書をするなど、「またあそこで過ごしてもいいくらい」な穏やかな18年を過ごす。
面会に訪れた友人は、ちょうど中庭へ日光浴に向おうとしていたパトリツィア・レッジアーニを目にし、塀の中でさえもまるでヨット遊びをする時と変わらぬ彼女の呑気さとエレガンスに衝撃を受けたという。




マウリツィオ・グッチと出逢った頃の話をする時の彼女は本当に楽しそうで、「レストランに誘われ、彼ったら、その晩にもう“パトリツィア・グッチになるっていうのはどう?”なんて言うから驚いたわ」、「彼は私の美しさに釘付けになった(!)」と自画自賛。

「Maurizio è stato il mio unico vero amore(マウリツィオは私が本気で愛した唯一の人)ともにこやかに語っている。
愛情が深いからこそその反動も大きい、可愛さ余って憎さ百倍か。
だからといって、普通の人は、憎っき元夫に刺客を送ったりませんけれどね…。





このように、素のパトリツィア・レッジアーニを目にする機会が多いイタリアでは、彼女に面会しなかったレディー・ガガを「正しい選択!」と支持するファンが多いようだが、その一方「なんの反省もない頭のおかしな犯罪者を演じるなんて信じ難い」と映画出演自体を否定的に捉える人も結構いると見受ける。


日本在住日本人の私だと、レディー・ガガに関して気になったのは、今にも「ペレストロイカ」とか「チェブラーシカ」とでも言いだしそうな(つまり、ロシア語っぽい)訛りのキツイ英語
いくらなんでも大袈裟すぎるという気も…。まぁ、その内慣れたけれど。

外国映画の中で外国人俳優が変な日本語で日本人を演じていると、日本の観衆から突っ込みが入るが、イタリアでは劇場公開映画は基本的にイタリア語に吹き替えられているので、『ハウス・オブ・グッチ』のレディー・ガガも流暢なイタリア語を喋っているはず。


キャスト その②:名家の御曹司

House of Gucci

アダム・ドライバー:マウリツィオ・グッチ(1948-1995)

『ハウス・オブ・グッチ』は、何不自由なく育ったゆえ、性格が素直な名家の御曹司が、パトリツィア・レッジアーニというそれまで自分の周囲にはいなかった“未知”との遭遇で、徐々に変わっていき、自我を持つようになるが、教会で永遠の愛を誓った女は彼を飛び立たせる代わりに永遠に葬る選択をとるという、マウリツィオ・グッチの成長と破滅の物語でもある。

パトリツィア・レッジアーニとマウリツィオ・グッチは同い年だけれど、映画『ハウス・オブ・グッチ』で見る二人の関係性は、小柳ルミ子&大澄賢也をちょっと彷彿。


House of Gucci

また、本作品でのマウリツィオ・グッチは自転車で始まり、自転車で終わるという印象。
パトリツィア・レッジアーニと恋に落ちる直前、そしてパトリツィア・レッジアーニから殺される直前、一時の自由を謳歌している彼が走らせているのは高級車ではなく、素朴な自転車なんですよね。

これは、パトリツィア・レッジアーニの名言(迷言?)「È meglio piangere in una Rolls-Royce che essere felici in bicicletta(ロールスロイスに乗って泣く方が、自転車に乗ってハッピーなのよりマシ)」を意識して皮肉った演出ではないかと勝手に想像した。


House of Gucci

Maurizio Gucci(1948-1995)

アダム・ドライバーは、70年代~90年代のイタリア御曹司ルックがとてもお似合い。
リドリー・スコット監督作品は『最後の決闘裁判』(2021年)からの続投だが、私は断然こちら『ハウス・オブ・グッチ』でのアダム・ドライバーが好み。
リドリー・スコット監督作品に限定しなくても、これまでの出演作の中でTOP5に入るほど良い(暫定)当たり役じゃない…?!


キャスト その③:名家の面々

House of Gucci

ジェレミー・アイアンズ:ロドルフォ・グッチ(1912-1983)

初代グッチオ・グッチの息子で、マウリツィオの父でもあるロドルフォ・グッチは作中でも語られているように俳優をやっていた人。
芸名は“Maurizio D'Ancora(マウリツィオ・ダンコーラ)”
そう、一人息子のマウリツィオは、この芸名から命名。


House of Gucci

Rodolfo Gucci(1912-1983)

見るからに、“古き良き時代の銀幕スタア”。

扮するジェレミー・アイアンズは1948年生まれ。
もう70代になっていたのですねー。
若き日の俳優ロドルフォ・グッチが年を重ねたら本当にこうなると思わせる容貌。
芸術至上主義の少々スノッブな上流階級の高齢男性役がぴったり。





House of Gucci

アル・パチーノ:アルド・グッチ(1905-1990)

初代グッチオ・グッチの長男。
映画『ハウス・オブ・グッチ』では、芸術家肌で優美な弟ロドルフォとは対照的で、金勘定しか頭にない俗物あきんどとして描かれる。


House of Gucci

Aldo Gucci(1905-1990)

イタリアでは、グッチ家の人々が映画『ハウス・オブ・グッチ』にご立腹だが、先陣を切って「利益のために家族のアイデンティティを盗んでいる」と抗議の声を上げたのが、このアルド・グッチの娘であった。

アル・パチーノに関しては“『ゴッドファーザー』のギャングや『スカーフェイス』のならず者で知られる俳優”とし、「背が低くズグッとした体型も全然父に似ていない。父はブルーアイでハンサム、スラリと長身、とてもエレガントな人だった」と。

見た目の美醜は個人の主観だけれど、他にも「父に一度も会ったことのない作家が書いた本をベースに、しかも、従兄のマウリツィオを殺した殺人犯を主軸に書かれている」と脚本に対する不満や、「閉鎖的で男性優位と思わすが、80年代は現在とは社会環境が違う」という見解も述べている。


私は、『ハウス・オブ・グッチ』におけるアル・パチーノの俗物的役作りは、グッチ家2代目兄弟の対比を顕著にしているので、映画のキャラとしては非常に分かり易く、“あり”だと思う。
だが、実際の人物に似ているか否かが重要なら、確かにまったく似ていない。
アル・パチーノだと、南部の下層出身の成り上がり者っぽく、トスカーナの富商には見えない。
もし自分がアルド・グッチの娘だったら、うーん、確かにあのキャラ設定は許し難いかも知れませんね。


実際のアルド・グッチは、父亡きあと約30年に渡りGUCCIの社長だった人。
海外進出し、GUCCIを世界的ブランドに成長させたのは彼。

House of Gucci

ブランドにはロゴが必要だと考え、1960年、父グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)のイニシャルを重ね、GGのロゴをデザインしたのも、アルド・グッチ。

色々過ちもあっただろうが、実際のアルド・グッチは映画で描かれているようなガメツイだけの男ではなく、相当な商才の持ち主だったのではないだろうか。





House of Gucci

ジャレッド・レト:パオロ・グッチ(1931-1995)

アルド・グッチの息子。

映画では、2代目のロドルフォとアルドが対照的なように、その息子たちである3代目のマウリツィオとパオロも対照的に描かれている。
マウリツィオが知的で穏やかなのに対し、従兄のこのパオロは、芸術家気取りのお間抜け。


ジャレッド・レトは風変わりな役が得意というイメージがあるけれど、今回もかなり化けている。

House of Gucci

頭部の落ち武者風禿げズラのみならず、お顔も特殊メイクを施しているので、原型を感じさせない。
キャスティングを知らずに映画を観たら、パオロ・グッチ役がジャレッド・レトだとは気付きませんよねぇ…?


House of Gucci

Paolo Gucci(1931-1995)

ジャレッド・レト、エキセントリックに飛ばし過ぎたのか、案の定、パオロ・グッチの娘が「父が面白可笑しく、まるで気狂いにされている」とご立腹。

常に“デザイナー”でありたかった人で、実際にはかなり功績もあるという。
アイディアも豊富で、70年代、フィオルッチやカルヴァン・クラインよりも前に、高級ジーンズをGUCCIの商品ラインに入れようと試みたこともあるらしい。
結局叶わなかったが、もし実現していたら、ラグジュアリーブランド史上お初のジーンズになっていたはず。(お嬢さん談)

ちなみに、お嬢さんによると、Wikipediaの記載も間違っており、パオロ・グッチが正式に結婚したのは後にも先にも彼女の母親だけとのこと。


オマケ:その他のグッチさん

映画『ハウス・オブ・グッチ』はパトリツィア・レッジアーニを主軸に物語が進み、周囲の登場人物はかなり絞られている。
実際には、映画には登場しない“グッチさん”たちが当然大勢存在する。


House of Gucci

例えば、パトリツィアとマウリツィオの娘は、映画だと1977年生まれの長女アレッサンドラ・グッチしか登場しないけれど、実際には、1981年生まれのアッレーグラ・グッチという次女もいる。

映画に登場するのは小さな少女だが、現実では悲劇が起きた1995年、姉は18歳、妹は14歳と、もう物事を充分理解できる年齢。
被害者遺族でありながら加害者の肉親でもあるのだから、十代の女の子たちには想像を絶する困惑と悲痛だったのではないだろうか。


House of Gucci

画像左が姉アレッサンドラ、右の長身が妹アッレーグラ

すでに40代になっている姉妹も、他のグッチさんたちに続き、「金儲けのために、我々のプライバシーと痛みを無視して、事実を湾曲してまで映画にした」と抗議。
なお、現在、姉はブリュッセル、妹はサン・モリッツで暮らしていると言われている。





私自身は、以前、やはり映画には登場しないロベルト・グッチ(1932-2009)にお会いしたことがある。

House of Gucci

ロベルト・グッチは、アルド(アル・パチーノ)の息子、パオロ(ジャレッド・レト)の弟、マウリツィオ(アダム・ドライバー)の従兄にあたる人物。
当時、グッチ家の家業であるバッグの会社を経営していたのはロベルトだけだったので、実質グッチ家の当主のような存在であった。

私生活では、トスカーナの貴族と結婚し(多分その後離婚)、6人の子持ち。
その内、娘のオリンピアは、80年代後半、修道女に。
人づてに聞いた話では、彼女の決心は非常に固く、誰にも止められなかったという。
宗教的背景が違うので例えるのは難しいけれど、日本なら、何不自由なく暮らせるユニクロの娘がわざわざ出家するようなものである。


映画『ハウス・オブ・グッチ』を観て、「うわぁぁー、グッチ家ドロドロ…」とのけ反った人は多いと思うが、私も、当時マウリツィオ・グッチの殺人事件は当然知っていたし、娘が修道女になった話も聞いていたので、グッチさんには漠然と暗いイメージを抱いており、会わなければならないのがちょっと苦痛であった。

…が、実際に会ったロベルト・グッチは拍子抜けするほど普通のいい人であった。
“普通”と言っても、市場で野菜を売っているおじさんみたいという意味ではなく、“イタリアの普通のお金持ち”という意味だけれど。
初対面の私に威圧感を与えることなどまったくなく、上品で穏やかな紳士。
とてもあのジャレッド・レトの弟という感じではありませんでしたヨ。





House of Gucci

また、比較的最近だと、2020年12月に、アルド(アル・パチーノ)の長男ジョルジオ・グッチ(1928-2020)の訃報が伝わった。
晩年はバルセロナで暮らし、弟たちより御長寿の享年92歳。


御本家グッチさんのブランド

『House of Gucci』というタイトルは、グッチというファッションハウス=メゾン、日本的な言い方をするならブランドについて描いている映画だからそう命名されたのだと考える人が多いであろう。

そういう意味合いで“House of~”と命名されているものはかなり有り、珍しくない。
それでも、映画のタイトルを目にした瞬間に、ある特定のものが私の脳裏にふと浮かんだ。
私が会ったロベルト・グッチが90年代初頭に立ち上げたメゾン、House of Florence(ハウス・オブ・フローレンス)である。

GUCCIブランドがグッチ家の手から離れてしまったため、権利の問題で本名なのに“GUCCI”の名を下手に使えず、プロモーションが困難。
(本名を名乗れない能年玲奈のようなもの。)
一時、銀座にお店を出していたこともあるのだけれど、私がその話をしても、日本ではファッション業界の人でもほとんど知らない。

地元イタリアでも一般人には大して知られていないはず。
でも、20年以上イタリアに暮らしながらファッション業界を取材した原作本の作者サラ・ゲイ・フォーデンが、2000年に<House of Gucci>を出版したという背景を考えると、タイトルを付ける際、彼女がロベルト・グッチのHouse of Florenceを薄っすら意識した可能性は高いのではないかと推測。





ちなみに、そのロベルト・グッチには、パトリツィア/パトリシア・グッチ(Patricia Gucci)という1963年ロンドン生まれの異母妹がいる。
息子ばかりのアルドにとっては唯一の娘で、「アル・パチーノは全然似ていないから!父は長身でハンサム!」と言った前出のあの女性である。
(母親はグッチのローマ店で働いていた女性。アルドは当時既婚者だったため、その女性をロンドンに住まわせ、彼女と再婚したのは、娘が24歳の時。)


House of Gucci

すでに還暦近いはずだが、お綺麗で。
さすが、ヨーロピアンセレブリティの風格あり。


House of Gucci

2016年には<In The Name of Gucci>という本も出している。


そんなお嬢さんが、ほんの数年前、ロンドンでAVITEURというMade in Italyのラゲージ・ブランドを立ち上げた。

House of Gucci

植物なめしの高級カーフを使用したキャリーオン。


House of Gucci

色は、ナチュラル、ブラック、グレーの3色展開。
AVITEUR公式サイトで値段を見ると、6950ユーロ(≒95000円)。

お値打ち感あり。
これ、なんか売れそうな気がする。
グッチ家の逆襲が始まったかも知れません。






現実が面白過ぎると、それを超えるフィクションを作るのが難しい。
ハタチの子なら「えっ、グッチってあの“GUCCI”…?!うそっ、過去にそんな事があったの??」と素直に驚けると思う。
とっくの昔にハタチを越えている私は面白過ぎる現実をすでに知ってしまっているので、映画『ハウス・オブ・グッチ』は、『GUCCI ファミリーヒストリー:ダイジェスト版』のようにも感じた。
それでもなお良く出来た娯楽映画で、充分楽しめたけれど。


映画を観ながら考えさせられた事は2つ。
一つは、言語問題
本来、これは、イタリア語を母語(もしくは母語並みに)話すイタリア人俳優で撮るべき映画。
『パラサイト 半地下の家族』(2019年)がアカデミー賞を受賞し、非英語作品を見直す動きが出たものの、実際に言語を壁を乗り越えるのは、まだまだ先になりそうだと感じた。

世界規模で興行成績を上げることを目的にするならば、イタリアには世界的知名度の高い俳優がそんなにいないという現実がある限り、『ハウス・オブ・グッチ』のキャスティングは間違ってはいないとは思うけれど、“ナンでもカンでも英語”はリアリティと面白みに欠ける。


もう一つは、グッチさんたちのお怒りも理解できる、…ということ。
映画は面白かったけれど、楽しんだことに罪悪感が湧くんですよね…。
(実際に会ったロベルト・グッチがいい人だったので、余計にそう感じてしまうのかも知れないけれど。)
これは、実在の人物を扱う全ての作品に共通すること。
自分の親族の話でも他人事に思えるようになるには、少なくとも百年くらいの歳月は必要なのではないだろうか。

もしかして、ここ十数年に生まれたグッチ家の子供たちの中には、お家騒動を知らない子もいるかも知れない。
それなのに、人気俳優を起用した大物監督リドリー・スコットによるハリウッド映画が公開されたら、同級生たちも皆観ちゃいますからねぇ…。
世界的知名度を誇るセレブ一家に生まれるのも楽ではなさそうですね。
もし自分がハリウッドで映画化される当事者家族だったら、たまったものではない…。